二十三年九月商業会議所条例(法律第八一号)の公布によって、道内でいち早く会議所の設立運動をみせたのが函館商工会であった。
この条例では、会議所会員の選挙権・被選挙権は所得税を納める商業者であると規定されていたが(第五、六条)、本道では所得税が免除されていたため、会議所を設立することは不可能であった。これに対して函館商工会は道庁長官に、所得税を課せられていない営業者の会員資格について伺を出した。これを道庁長官が農商務省に照会したところ、逆に所得税に代わるものを取調べ上申せよとの回答が寄せられた。これに対して函館商工会は、収益金三〇〇円以上並びに内国税三円以上を納める者の二種より組織することを答申した。しかし「収益金三百円以上」の件が法律に抵触するという理由で、北海道における商業会議所設立の問題は保留された(函館市史 通説編第二巻)。
二十八年三月二十七日商業会議所条例が改正(法律第二三号)され、「第五条及第六条ニ掲ケタル会員ノ選挙権及被選挙権ニ関スル財産上ノ資格ニ付テハ農商務大臣ハ地方ノ情況ニ依リ所得税額又ハ会社取引所ノ資本額ニ基キ特ニ之ヲ規定スルコトヲ得」(第七条)という条項が新たに設けられた。同年七月十九日にはこれを受けて「北海道ニ関スル財産上ノ資格ハ所得税ニ代フルニ地方税ヲ以テシ且其税額三円以上ト定」(農商務省令第七号)められた。
こうして二十八年九月には函館商業会議所、同年十二月には小樽商業会議所が設立認可され、翌年二月五日には札幌で、俱楽府に商業会議所創設発起人会が開設された。