大正元年九月会議所では、明治四十一年度から四十四年度にわたる滞納者三六人に対してとうとう提訴に踏み切った(半年報 大1下半期)。しかしこの訴訟は「本件の訴訟物は通常裁判所の管轄に属せず」との理由で一、二審とも会議所の敗訴に終わった。つまり、通常裁判所においては民事刑事を裁判するものである。しかし商業会議所は公法人であるから、これによって賦課される経費もまた、公法上の手続きによるべきである。したがって本件は通常裁判所において審判するべきものではないというのであった(年報 大2)。しかしこの問題は、全国の商業会議所に関わる問題でもあっただけに、「区裁判所の判決区々に渉り且つ学説も未だ一定せず要するに法律の不備に起因するを以て猶充分研究の余地」(北タイ 大1・12・5)があるとして論議をよんだ。訴訟は一、二審とも敗訴に終ったが、翌年会議所は大審院に判決例を作るよう上告している(北タイ 大2・11・14)。
こうした会議所の積極的対応は、全国の商業会議所へ波紋を呼び起こし、商業会議所法改正の請願運動へと発展した。二年二月には仙台を筆頭に東北六会議所(青森、弘前、秋田、山形、酒田、仙台)と北海道三会議所(函館、小樽、札幌)が、商業会議所法改正の請願に向けて連合調印書を衆議院請願委員に提出している。四月には全国商業会議所聯合会から、「第三三条改正の結果経費徴収上に及ぼせる影響及び其他各条項に関する改正希の要点等」を調査の上、報告することが求められた(北タイ 大2・4・5)。こうして十一月には全国商業会議所聯合会から農商務大臣へ、一三カ条の改正を含む商業会議所法改正に関する建議書が提出された(年報 大2)。