電報や
電話利用の増加については、表3のようになっている。この表は、札幌区での
電報の発信と着信の数と、
電話加入者及び
電話交換通話数の推移である。札幌区の統計書であるため、隣接する町村の数値を含んでいないものと思われる。
年度 | 電報 | 電話 |
発信 | 着信 | 加入者 | 交換通話数 |
明治39年度 | 185,093 | 177,917 | | 2,132,215 |
明治40年度 | 240,777 | 321,753 | | 2,471,886 |
明治41年度 | 223,275 | 201,875 | 804 | 2,597,359 |
明治42年度 | 181,681 | 193,508 | 854 | 2,583,795 |
明治43年度 | 186,096 | 196,973 | 1,046 | 3,678,421 |
明治44年度 | 205,902 | 226,831 | 1,084 | 4,287,826 |
明治45・大正元年度 | 213,259 | 223,217 | 1,178 | 5,096,379 |
大正 2年度 | 210,723 | 219,769 | 1,290 | 5,114,775 |
大正 3年度 | 241,466 | 230,475 | 1,485 | 6,395,845 |
大正 4年度 | 198,137 | 231,743 | 1,485 | 7,931,103 |
大正 5年度 | 226,677 | 287,178 | 1,809 | 10,058,614 |
大正 6年度 | 302,585 | 374,415 | 1,935 | 12,996,184 |
大正 7年度 | 315,642 | 412,167 | 1,935 | 14,293,704 |
大正 8年度 | 360,037 | 475,062 | 2,065 | 16,176,018 |
大正 9年度 | 342,435 | 440,133 | 2,096 | 14,297,522 |
大正10年度 | 322,481 | 424,003 | 2,425 | 15,724,868 |
大正11年度 | 561,959 | 483,359 | 2,513 | 16,857,575 |
電報は、全国的に人手不足や回線不足で配達の遅れがひどくなった。札幌でも回線(線路)の増加や自動化をはかったが、「線路及人員の増加之に伴はず却て著るしき過度の労務の為現業員の健康を害し病気欠勤者相次」ぐ状況であった(北タイ 大6・8・6)。
電話については、明治三十三年十一月に単式交換機の台数増加(道毎日 明33・11・21)、さらに四十三年三月複式交換機への変更(北タイ 明43・3・11など)などで対応した。しかしどちらも人手に頼る交換業務であったため、交換機の変更により一時的に交換業務停滞に対する非難は減少したが、市民からの不満の声は新聞紙上に多く載せられた。その反面、『
北海タイムス』は一通話平均二秒半で取り次ぐ交換手の大変さを取材し、同情的な記事をも掲載した(北海道の電信
電話史、札幌の電信
電話80年のあゆみ、北タイ 大9・10・3、12・20など)。