開戦とともに様々な戦争後援団体が活動を開始した。北海道尚武会は日清戦争時の明治二十八年十一月に創設され、「北海道ニ本籍ヲ有シ陸海軍ノ兵役ニ服スルモノヲ奨励シ、又戦時事変ニ際シテハ本籍寄留ヲ問ハス出役兵ノ家族ヲ保護スル等、総テ尚武ノ実ヲ挙クルヲ以テ目的トス」とされた全道的な組織であった(北海道尚武会設立趣意書並規約書)。会員は三十二年末では二〇六三人に過ぎなかったが、開戦とともに入会者が増加し三十七年十二月現在では九九五〇人に達し、再び活発に活動化し各地に支部も設置されていった。会長は道庁長官園田安賢がつとめ、具体的活動としては①勲功、②傷痍疾病贈与、③弔祭、④扶助などの贈与であったが、戦争の進行とともに「死亡者ヲ続出シ又軍人ノ家族及遺族ノ救護ヲ要スルモノ夥多」と「資金僅少ノ為」により贈与金を減額する規約改正に追い込まれている(北タイ 明37・6・14)。
札幌支部では三十七年十二月に婦人委員が設けられ、会員の勧誘が強化されていた。また、篠路村尚武会は幹事福士武美の積極的な勧誘もあって会員は四七七人(北タイ 明38・1・28)、札幌村尚武会は四〇五人を数えていた(北タイ 明38・2・15)。