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大正九年の選挙と許士善太郎

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 争議の具体的経過について述べる前に、このような事件の起きた前提について考えてみたい。それは、善太郎の側にも問題はなかったであろうかということである。後に大正十三年から昭和四年までの間、第一八代札幌村村長を務める善太郎は、大正五年六月、七年六月、九年六月、十一年六月にそれぞれ村会議員に選ばれているが(札幌村史)、この間の九年六月の選挙に際して次のような事件を起こしている。すなわち同年六月五日から七日にかけて、札幌村丘珠地区の部落民金谷助七ほか六人は次のような決議を行った。
   決議書
今般吾々部落民ハ第八組ヲ組織シ何事モ共同一致シテ其ノ部度ノ出来ヲ円満ニ解決スルモノトス若シ多数ノ決議ニ不賛成ノ者アル時ハ脱退スルモノトス此ニ共同一致ヲ以テ処決スルコトニ決議シ左ニ記名署印シ此ノ書組合伍長永久保存スルコトヲ決議候也
    大正九年六月七日(署名者略)

(丘珠百二十年史編集関係史料)


 この決議文には次のような文書が添付されている。
   契約書ニ対スル理由
大正九年六月一日通常村会議員選挙ニ際シ当部落ニ於テ予選セシ結果其票数四位ニアル処ノ許士善太郎ナル者三位者タル湯浅藤吉ヲ辞退セシメタルカ如キ行意(ママ)ニ出テタル風説アルヲ以テ果シテ事実ナル□不明ナルモ仮ニモ如斯風説アルハ旧来当部落ノ義風ヲ害スルハ勿論ナルヲ以テ爰ニ左記六項ノ契約ニ対シ記名調印ヲナシ以テ如斯ク悪説書ヲ世間ニ伝声ナキコトヲ誓約ス
   大正九年 月 日
     契約書
 村会議員及ヒ部長其他ノ役員ヲ当村ヨリ選出スルトキハ総テ予選ノ結果ニ依リ多票者ヨリ順次ニ村会議員又ハ部長衛生組長其他ノ役員ト雖モ此例ニ依リ当選者トナスコト
 村会議員及ヒ部長其他ノ役員ノ補欠ニ依ルトキモ前項ノ例ニ依ルコト
 該契約書ヲ設定以後ハ当部落ニ於テ教育衛生道路橋梁神社祭礼其他何事ニ不係部落総会又ハ組長伍長ノ総会ヲ召集シ会議ノ結果一人タリ共多数ノ賛成者アリタル方ニ隨フハ勿論如何ナル事情アルモ一度多数ニ依リ決議セシコトヲ後日ニ至リ異議申出サルコト
 該事故総テハ先例ニ依リ当部落ノ元老者ト目セラルヽ人又ハ村会議員部長其他重役員者ニ於テ主唱者トナリテ前項ノ総会ノ召集ヲ行フモノトス若シ此外者ニ於テ部落上ニ関スル会議必要ト認メタルトキハ当部落居住者三分ノ一以上ノ同意者アルニアラサレハ行フコトヲ得ス
 但シ此場合ノ会議長ハ召集ヲナシタル者以テ議長トナシ決議スルコト
 該契約書ニ違背セシ者アリタルトキハ各其違背者氏名ノ頭上ニ朱書ヲ以テ理由ヲ記入シ除名脱退セシムルコト
 契約者簿ハ部長ニ於テ永遠ニ保管シ置クモノトス

(同前)