ところで全国的に米価暴騰が一段落を遂げた十一月、同年七月に農商務省が各地方長官宛に発した在内地米調査結果が公開された。外米関税撤廃で外米が大量に輸入されたため公開解禁になったのである。七年七月三十一日より十月三十一日までの札幌区内米穀商所有の在内地米調査高は、表25のごとくであった。これによると、八月十五日段階で買入中米高が三〇九四石にも達し、まさにこの時点で米価の値上がりを見越して買占めが行われたのがわかる。また八月三十一日段階の買入中米高が一七二〇石に下がったのも、各地での騒動の結果物騒になってきたのと低落傾向をみて買い控えが始まったことを示している。さらに十月十五日段階では、在米高二八六二石ともっとも減少し、一日五〇〇石ずつ消費する札幌区民九万人の五日分しかなかったことになる。このためこの時期に外米廉売をさかんに行った。やがて十月三十一日段階になると、在米高、買入中米高ともに道内や本州各産地から新米が徐々に入りつつあったことがうかがわれる。
表-25 札幌区在内地米調査高(大7) |
月日 | 在米高 | 買入中米高 | 備考 |
7.31 | 10,445石 | 1,604石 | |
8.15 | 10,177 | 3,094 | 買占め |
8.31 | 10,505 | 1,720 | 手控え |
9.15 | 7,087 | 106 | |
9.30 | 4,154 | 218 | |
10.15 | 2,862 | 592 | 外米廉売 |
10.31 | 4,302 | 703 | 新米入荷 |
1. 50石以上所有者。 2.『北タイ』(大7.11.14)より作成。 |
米価暴騰のあおりを受けたのは、食べ盛りの子供を抱えた家庭であり、寄宿舎生、下宿人たちであった。札幌師範学校寄宿舎では、越中三等米五割に麦五割、あるいは外米を混ぜる場合は米・麦・外米をそれぞれ三分の一ずつ、一日六合六勺を給する状態であった(北タイ 大7・12・1)。
札幌の場合、一旦おさまったと思えた米価暴騰は八年に入って再然し、一月には地元白米一等一石四七円三〇銭を示したが四月に入ってやっと四一円に下落し、麦、蕎麦もそれにならった(北タイ 大8・4・11)。ところが不安定さは免れず、七月中旬には米一石五七円と最高値を更新したので、官の推奨する混食と節米を区民は強いられるのであった。七月下旬より区内各戸に「節米のすゝめ」という印刷物が配布され、朝鮮・台湾・その他の外米、半搗米、玄米、麦飯等の混食、パン、うどん、蕎麦の代用食、芋、大豆、小豆、粟、黍等の混食が積極的にすすめられた(北タイ 大8・7・23)。このために道庁主催の混食試食会が庁立高等女学校を会場に名流夫人等を集めて催された(北タイ 大8・7・28)。そして食糧改良講習会、節米運動が繰り返し行われた。