協同伝道以降も、区内のプロテスタント諸教派は一致して伝道集会を計画し、教勢を拡大した。大正五年(一九一六)九月の金森通倫(みちとも)を講師とする「札幌諸教会聯合特別大伝道」では、八日間で信仰の決心者が一二〇七人に達し、この年度、組合教会と北辰教会の受洗者数はそれぞれ一四四人と一二六人を数え、メソヂスト・独立両教会も各四〇人台の受洗者があった。七年二月には再び植村正久と柏井園(えん)を講師とする札幌修養会が協同伝道の一環として開催され、北海道博覧会にあわせて同年八月、一週間連続して演説会を行ったほか、路傍伝道隊を繰り出した。これらはいずれも区内の教会が連合して行ったものである。
博覧会特別伝道の実施を決めた同年三月の会合では、あわせて教会同盟の発足が提起され、翌八年四月二十七日、札幌基督教会同盟として発会式を挙げた。すでに札幌のプロテスタント教会は、多数の協同行動の実績を挙げてきた。これをさらに一団体として組織する意義について、メソヂスト教会牧師の白戸八郎は、「外部に対して各基督教会の一致せる意見を代表して是を社会に発表する」こと、結婚・葬儀・記念会(葬儀後の故人追悼会)その他日本在来の慣習や祭に対する信徒の態度についての検討が「現在及将来の為必要」であること、また「社会一般の悪風を矯正せんが為に改善運動を起したり、政治家や教育家等の道徳行為を監視し時に応して警告を与へたりする」(北海メソヂスト 第二巻一一号)ことなどの必要性を説明している。発会直後の同盟理事会などでも、「民力涵養」について北海道庁長官と会見し意見の交換をすべきこと、神社問題(祭礼への参加、参拝強要問題についてのことと思われる)が議題となっていた。
同盟に参加したのは、独立・北辰・メソヂスト・聖公会・組合・ルーテル・ホーリネスの七教会であった。しかし発足の翌々十年の理事会では、近年札幌伝道に参入した教派の中に、同盟の側からすると「或は聯盟の美風を破棄したり、或は聯盟加入を敢てせず」とする状況が生まれていると報告された。加盟教会間にも「近来、相互教会の徳を建つる上に於て稍理想的ならざる」ことがあり、特に「和親」を強調する必要が生じたり、区内を七区に分けて行ってきた聯合組会の再開に「懐疑説も多く」なったことなどが報告され(北光 第八四号)、連合活動への関心が拡散していることが窺える。加盟を勧められたが独自の立場から加入しなかったのは、後述するセブンスデー・アドベンチスト教会であるが、そのほかにもこの前後に新しく札幌宣教に加わった教派・教会が少なくなかった。札幌のキリスト教も拡大のなかに多様化していた。