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中等学校入学者選抜制度の改正

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 周知のように、明治期から中等学校への入学志願者の選抜方法は、主として学科試験(筆記試験)の成績によって決定してきたが、文部省は昭和二年十一月二十二日、その法的根拠となっていた「中学校令施行規則」中の「第一学年入学志願者ノ数入学セシムヘキ人員ヲ超過スルトキハ試験ニ依リテ入学者ヲ選抜スヘシ」という条項を撤廃した。「高等女学校令施行規則」なども同様に措置した。この改正措置は学科試験による中等学校への入学志願者の選抜方法の廃止を意味するもので、昭和三年度の入学者の選抜から適用となった。
 そして、これに代わる措置として、同日付で「中等学校試験制度改正ニ対スル入学者選抜方法ニ関スル準則」と題する文部次官通牒を各地方長官宛に発した。この通牒によれば、入学者志願者の選抜方法の骨子は「学業成績、身体ノ状況、特性」などを記した出身小学校長の内申書に基づき、「募集員数以上適宜ノ員数ヲ考査選抜」したうえで、さらに「人物考査(常識、素行、性行等ノ考査)並身体検査ヲ」実施して決定するというものである。また、「人物考査」は「主トシテ口頭試問ノ方法」で行うことも併せて指示した。
 このように文部省が中等学校への入学志願者の選抜に際し、学科試験を廃止したのは「小学校在学中ヨリ只管之カ準備ニ没頭シ、知ラス識ラスノ間ニ其ノ心身ノ発達ニ悪影響ヲ及ホスハ国民ノ将来ニ対シ洵ニ寒心ニ勝ヘサルナリ、加之コレカ為ニ国民教育精神ニ背戻シ小学校教育ノ本旨ヲ没却スルニ至リテハ最モ深ク憂フヘキ所ナリ」という理由からであった(文部省訓令 中学校令施行規則中改正ノ要旨並実施上注意事項)。この訓令で指摘されている小学生の心理面・身体面への悪影響や初等教育を歪めるといった「受験準備教育」の弊害は、大正中期頃から都市部を中心に全国的に顕著となり、それは当時の教育界も含めて大きな社会問題となった。この背景には「試験地獄」と呼ばれた、当時の中等学校入学のための過酷な受験競争が存在していた。