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白石村の合併

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 札幌市で白石村の併合が初めて正式に取り上げられたのは、昭和二十四年(一九四九)十月十三日である。ただし、この時点では翌年四月一日をもって白石村の一部、具体的には「定鉄沿線札幌側」を編入するとしていた(道新 昭24・10・14)。市では、その準備のため市議会に地域変更調査特別委員会を十一月十九日に発足させた(道新 昭24・11・20)。
 市側の動きに対し白石村側も積極的に応じ、同年十二月五日には村議会に地域変更調査特別委員会を設けた(白石村合併に関する経緯資料 以下白石経緯)。これ以降、この構想は順調に実現するかに見えたが、白石村内から併合地域をどう設定するかという点に関して異論が出て問題は紛糾する。意見の相違が生じたのは、併合後に残される地区のみで村を維持できるのかという声が併合予定地区以外から挙がったためである。実際に、併合地区とされなかった厚別地区の住民からは、合併するのならば全村を合併するよう訴える陳情がなされている(白石村の札幌市合併に関する資料(一) 以下白石資料)。
 一部編入という形で出発した白石村合併問題は、さらに全村合併という選択肢を加えて論議されていく。村内の世論、村議会内の意見は急速に全村合併へと傾いていった。二十五年(一九五〇)三月十三日に開かれた村議会協議会では、「全村合併が妥当」とする特別委員会の報告が承認された(白石経緯)。この時点で、村側では全村合併が既定方針となったのである。ただし、そこには根強い反対論も存在した。この協議会でも、「出席議員二三名中全村合併に…反対するもの三名を以て決定」されたのである(同前)。
 白石村側の全村合併という方針に対し、当初札幌市は必ずしも積極的ではなかった。二十五年三月八日に行われた市村の意見交換の場で、市の特別委員長は、現在市議会では「札幌村の全村併合」が主たる議論の対象であり、「白石村全村は至難であらう」と述べた(白石資料)。しかし、白石村側で方針が決した頃には、札幌市側も全村合併への積極姿勢を示し始めた。同年三月十五日、特別委員会は市議会に対して白石村全村を合併すべきであるとの結論を報告している(七期小史)。
 これ以降、全村合併を前提として市村間の交渉が続けられ、合併条件が具体化されて行く。村側の関心は、合併後の市行政が旧村にまで行き届くのかどうか、農政に対してどの程度の重点を置いてくれるのか、などの点にあった。三月二十五日に開催された白石村議会では、「白石村を札幌市に全村編入の件」を審議・可決するとともに、村長の発案でこれに伴う付帯事項を市に提出することとした。これは先述の点など、村側の要望を八項目にわたって述べたものであった(白石経緯)。
 二十五年四月二十二日、市村両議会においてともに満場一致で合併が議決された。この時市議会では、白石村より提出されていた付帯事項についての覚書交換も同時に可決した。その後、村市間の折衝を経て、一〇項目の覚書が作成され、五月九日に交換されている(白石経緯)。同年七月一日に白石村は札幌市に合併された。