その他にも占領軍関係者の講演会などのほか、この時期に来日した外国人らが国際運動の勧誘活動や文化講演などを数多く行った。
例えば二十二年四月アメリカ・ミズーリ大学新聞学のモット博士が「民主的新聞の哲学的基礎」という講演をした(道新 昭22・4・12)。二十三年九月三重苦を克服したことで有名なヘレン・ケラーが来札して講演を行い、それを機に「盲人会館」「点字図書館」設置などの気運が高まった(道新 昭23・9・9)。二十五年七月にはアメリカPT会全国協議会の会長が来札し、PT会のあり方などの講演を行った(道新 昭25・7・11)。
これらの啓蒙的な交流に対してスポーツでも二十六年八月日米陸上北海道大会、二十七年一月日米交歓アイスホッケー対戦、二十九年一月男子世界スピードスケート選手権大会などが開かれた(道新 昭26・8・11など、27・1・14夕、29・1・15など)。そして最大のスポーツ交流が冬季札幌オリンピックである。
二十七年講和条約締結後フランスでは代理領事館を設置したが、札幌にいるフランス関係者が少なかったためか、その利用者はごく少数であった。そのためフランス代理領事はフランス文化センターを設立して、フランスの図書、映画、講演会などにより現在のフランスを広く認識して日仏親善、文化の交流をはかる意向を示した(道新 昭27・6・8)。そして道立図書館内にフランス文化センターを開設した(道新 昭28・2・3)。
その他中国の青年婦人の代表と札幌市内の青年たちとの交流、世界最初の宇宙飛行士ソビエト連邦のガガーリンが来札するなど世界の国々との交流が広がっていった(道新 昭32・7・1、37・5・27)。