昭和三十年代末になると企業会計の赤字が深刻化する。三十八年度には病院会計が赤字決算となったのに加えて、四十年度からは交通会計が、四十一年度には水道会計がそれぞれ初めて赤字を計上する。なかでも交通会計は、四十二・四十三年度はいったん赤字決算を免れるが、その後は再び赤字に転落して五十年代には財政問題を引き起こすことになる。
まず、三十六年度予算で、市は交通局職員の給与改定を行ったが、この改定によって当年度予算における交通会計の純利益はわずかに四一〇万円にまで縮小した(昭36一定会議録)。こうした事態に対して、市は三十七年度予算で市電と市バス料金の値上げを予定し、値上げが決まった段階で補正予算を組むとした。そして値上げによる増収分一億七〇〇〇万円のうち、五〇〇〇万円を赤字補塡に、その他を鉄北線の延長計画とバスと電車の車両購入費に充当することとした(道新 昭37・3・13)。結局三十七年十二月には、市電の料金が九年ぶりに二円値上げされて一五円となる。また市バス料金は、翌三十八年七月に一二年ぶりで一〇円から新しく特殊区間制を採用して一五円に値上げされた。
その後同会計は、四十年度予算で赤字予算の編成に追い込まれるが、四十一年度には新規事業として、北三十三条~三十七条の電車架線延長、豊平線の復活などを実施するために減価償却の内部留保金を充当したり一時借入金を増加させたりと苦しいやり繰りを余儀なくされ、このままの予算を継続すれば、四十五年度までに三一億円の累積赤字が予想されるという深刻な事態が予想された。
赤字の要因として、交通局は、①混雑による輸送効率の低下、②定期券利用者の増加、③不採算路線の経営、④人件費の増大を挙げ、事業改善策として四十一年度から家族無料パスを廃止したり、「市職員公用乗車証」の発行を三分の一に抑制するなどの措置を講じて約二〇〇〇万円の増収を見込んだが、抜本的な増収策は乗車料金の値上げしかないとの判断に立ち、四十一年五月には、市電と市バスの料金をそれぞれ一五円から二〇円とする値上げ案が市議会の交通下水道特別委員会で強行採決されて成立した(同年12月実施)。その後政令指定都市となるまでに、市電は四十五年十二月に二五円に、市バスは同年十月に三〇円と各一回値上げされている。
国民健康保険会計は、三十九年度には三十七年度に約一億円あった黒字を食いつぶし、翌四十年度には一億円の赤字が予想されるため、同年度から国保税を三〇パーセント引上げせざるをえなかった。四十三年一月からは国保の世帯員(家族)の七割給付が実施されたが、四十五年度には、五億円の赤字が見込まれるため、市は当年度で一般会計から一億三九〇〇万円の繰入金を投入する他、掛け金を四十三年度の一八・五パーセントに続いて四一・七パーセント値上げした。このうち四十三年度の値上げによって一世帯平均の負担額は年額一万二五〇〇円が一万五六〇〇円となると試算された(札幌市財政統計、道新 昭41・2・4、2・10、2・27、5・18、7・5、7・6、43・1・22、1・27、45・2・10)。