札幌の都市計画事業の中には前巻でとりあげたように、平岸通拡築事業、美香保・白石・豊平・琴似・伏籠の公園事業、東札幌と琴似の土地区画整理事業が戦争中からの継続事業となっていた。
平岸通拡築事業については、十八年以来四カ年継続事業として計画だけは継続していたが、二十二年打ち切ることにした(都市計画概要)。
美香保公園は、二十二年度から運動場の新設をはかり、トラックや野球場などを設備した。白石公園は農地調整法の施行により、大部分が自作農創設地とされたため、一部が東札幌土地区画整理においてしののめ公園(昭29・3・30認可)と計画変更された。豊平公園も農地調整法が施行され、自作農創設地とされたため、東札幌土地区画整理事業により一部がときわ公園(昭29・3・30認可)として整備されることになった。琴似公園は、戦後しばらく手がつけられないままであったが、二十八年決定された西郊地区土地区画整理のなかで別な計画となった。伏籠公園については、やはり農地調整法で自作農創設地となり、手がつけられていないまま、鉄東地区土地区画整理の中で別な計画となった(同前)。
東札幌土地区画整理事業は、東札幌駅の貨物駅新設と住宅難緩和策の宅地開発のため、二十四年二月設計が認可され、事業を開始した(札幌都市計画 札幌市 昭35)。この東札幌土地区画整理は、三十年当初予定の区域の整理を終了し(道新 昭30・2・7)、ついで隣接する平岸地区などの土地区画整理も実行に移されていく(区画整理二十年の歩み 札幌市 昭49)。琴似土地区画整理事業は、戦後も未着手のままであったが、二十八年北海道総合開発の構想に基づく工場誘致や急激な人口増に伴う住宅地不足への対処のため、区域を拡大して札幌都市計画西郊地区土地区画整理と名称変更した(札幌都市計画)。