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雪印乳業の成立

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 いわゆる財閥解体は、三井、三菱など主要財閥の持株会社を解散させるとともに、それぞれの産業分野におけるシェアの独占をも問題とした。二十二年十二月十八日に「過度の経済力の集中を排除し、国民経済を合理的に再編成する」ことを目的とした過度経済力集中排除法(集排法と略)が施行された。財閥解体の推進組織である持株会社整理委員会は、翌年二月、分割すべき企業として三二五社を指定した。しかし、大企業の分割という政策に対し、国内およびアメリカ本国から疑義が出され、指定取消の措置がとられた。最終的に再編成の指令を受けた企業は一八社となり、実際には保有株式の処分、工場の売却のみ指令された七社を除く一一社が企業の分割をさせられたのである。札幌に本社、工場がある北海道酪農協同株式会社(北酪社)、札幌に工場がある大日本麦酒株式会社、帝国繊維株式会社の三社はこの一一社に含まれていた。札幌に関わる財閥解体(集排法)の実施過程をみてみよう。
 まず、北酪社はどのような企業で、なぜ分割されなければならなかったのだろうか。話はさかのぼるが、戦時中に北海道酪農組合聯合会(酪聯)は、道内の森永乳業、明治乳業と統合し北海道興農公社(公社と略)となっていた。公社の株主は、酪聯、明治、森永、農林中金、拓銀、道庁の六者だった。酪聯分は、その後酪聯が他の農業団体と統合されて北海道農業会となったため、北海道農業会の持ち株となっていた。戦後には、公社の株式の民主化が唱えられ、二十一年八月二十三日、全道酪農振興協議会が札幌で開かれ、①公社の資本金三〇〇〇万円を酪農民に分割譲渡すること、②公社農地部を分離すること、③酪農民と新会社の連絡協調のための組織をつくることが決議された。これらを実行するための実行委員会、専門委員会がつくられ、株式については、酪農家から乳牛一頭二〇〇円ずつ、一〇〇〇万円の資金を集め、株式を引き取ることとなった。黒澤酉蔵公社会長も全面的に受け入れるとし、第九回臨時株主総会(昭21・12・24)において北海道興農公社を北海道酪農協同株式会社(北酪社)に変更することが決定された。
 北酪社は北海道の原料乳を一手に集荷し、バター、チーズなどの生産量は国内企業としては最大であった。集排法が施行されると、北酪社も指定される可能性が生じた。北酪社側は、酪聯以来の協同組合の伝統を強調し、株主も大部分が酪農民と従業員であること、北海道の酪農は育成途上にあり分割すれば採算のとれない工場、集乳所がでてくることなどを論拠に分割指定に反対した。二十三年五月一日に一九四社につき指定解除がなされたが、同業の森永食糧工業、明治乳業は解除されたものの、北酪社は解除されなかった。
 二十四年六月二十七日、北酪社の分割指令案が出された。ここでは、まず二十二年度における北酪社の生産実績が、集乳量では全国比六三・三パーセント、バターでは七八・二パーセント、チーズでは八四・五パーセント、煉粉乳では五一・八パーセントと認定され「日本の製酪業において競争を制限し、他のものが単独にこれに従事する機会を妨げうる生産能力をもつており、かつ酪農業の中心地たる北海道地区において独占的能力をもつている」(日本財閥とその解体)と判定された。これに基づき七月二十二日聴聞会が東京で開かれ、北酪社(経営代表、労組代表)、酪農民代表、北海道信連などが分割反対意見を、明治乳業代表、森永食糧代表が分割賛成意見を述べた。このときに北酪社労組代表や北海道信連代表、清瀬一郎弁護士が分割に反対しつつ酪農協同組合連合会に改組するのが望ましいという意見を述べているのが注目される。北酪社を営利企業にはしない、という意向が根強くあったのである。また、農林省も指令案に疑義を呈する意見書を第八軍司令部に提出、これに対して明治、森永側が反論するなど、激しい論争が繰り広げられた。持株会社整理委員会は、翌二十五年一月二十日付をもって「再編成に関する決定指令」を通達した。これは当初の分割案よりも緩和されたものだったので北酪社は受諾した。
 分割指令に基づき、北酪社は、旧会社たる北海道バター株式会社と新会社たる雪印乳業株式会社に分割され、さらに道内三工場と本州の事業所を分離した。雪印乳業は、二十五年六月十日設立、取締役社長佐藤貢、専務取締役瀬尾俊三であった。持株会社整理委員会から乳業以外の事業は早期に分離させることを勧告されており、二十五年八月二十六日第一回臨時株主総会で四部門分離を決定した。これにより雪印食品工業(株)(苗穂町三六、資本金五百万円)、雪印種苗(株)(豊平町美園三七、資本金一千万円)、雪印皮革(株)(札幌村字苗穂四五九、資本金一千五百万円)、雪印薬品工業(株)(北7東11)が設立された(雪印乳業沿革史、松原太郎 酪農回想録)。
 表4は、雪印の株主をまとめたものである。昭和二十五年では、北海道在住株主が圧倒的多数であり、上位一〇株主も、北海道の企業、組合が多い。雪印乳業は、酪聯あるいは北酪社の伝統を受け継いだ企業であったのである。しかし、株主の特徴は、その後変化している。まず、北海道在住者の株式数の比率は年々低下し、四十五年には株主数に占める比率も半数を割っている。上位株主も、内地の協同組合が名を連ねるようになり、四十年以降は、それらも消え、金融機関がほとんどを占めている。もちろん、札幌酪農牛乳同友会や北海道信連が顔を出していることは、他企業と大きく異なる点だが、全体として、一般企業なみの株主構成とみることができよう。
表-4 雪印の株主
 昭和2530354045
北海道株主数10,868人21,774人37,753人41,850人37,958人
株主数の対全国比93.6%89.9%67.6%53.2%46.6%
株式数の対全国比76.6%81.9%60.8%31.8%28.2%
1位農林中金札幌酪農協組農林中金農林中金農林中金
2位拓銀農林中金札幌酪農牛乳同友会住友信託銀行拓銀
3位大和証券岩手県経済連北海道信連札幌酪農牛乳同友会札幌酪農牛乳同友会
4位北連拓銀浜中村主畜農協東洋信託銀行千代田生命
5位千代田生命中標津農協拓銀大和銀行東京支店安田信託銀行
6位草野末吉北海道農協中央会岩手県経済連日本証券保有組合日本証券金融(株)
7位日本火災海上保険別海村農協岡山県北部酪農協組三菱信託銀行第一生命保険
8位大樹村酪農協組大樹村酪農協組秋田県経済連三井信託銀行三和銀行
9位石狩町酪農振興会本別町酪農協組長崎県酪農協組拓銀三井信託銀行
10位広島村酪農協組沼川農協青森県北海道信連北海道信連
雪印乳業株式会社『有価証券報告書』各期により作成。

 雪印乳業札幌工場は、粉乳、バター、カゼイン、チーズ、アイスクリームの生産を行っており、従業員は一〇二人であった(有価証券報告書 昭和26年度)。二十七年十二月時点における生産設備としては、二八台の機械が判明するが、購入年をみると、二三台は昭和十六年であり、戦後は五台だけである(札樽地区工業地帯調査報告書(札幌市・小樽市およびその中間町村))。二十七年度から製菓工場を独立させ、キャラメル、菓子類を製造している(有価証券報告書 昭和27年度)。