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毛糸紡績

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 戦前の北海道では、綿紡績や毛糸紡績は未発達であったが、戦争中の衣料不足から戦後、各種紡績業がにわかに勃興してきた。とりわけ毛糸紡績は、道内約一五万頭(昭23)といわれる緬羊(めんよう)が飼育されていたことから、これを道内で毛糸に加工することが課題とされた。中央の紡毛機設置委員会は札幌市の協同紡績に二基の紡毛機を設置することを認めた(道新 昭23・2・5)。紡毛毛糸は終戦直後に道内で続々と製造者が現れたが、強度がないことから消費者に嫌われ、その後大部分が半梳毛工場に転換したといわれる。二十七年には本格的梳毛工場として北日本毛織(株)(白石町横町、現在の東札幌)が操業を開始した。この工場は、二十四年にメリヤス機械を設置し、道内羊毛の委託加工場として操業したが、混織するメリヤス用原糸をすべて内地梳毛工場に頼らなければならなかったため、梳毛紡績工場に転換したものだという。北日本毛織では、主として道内農村から集めた緬羊を委託加工しており、輸入羊毛の割当を受ける自家生産は少なかった。道内の緬羊は二十八年には六〇万頭といわれ、年々増加していた。同工場は、札幌市工場設置奨励条例の適用第一号となり(道新 昭28・8・10)、キャップ精紡機六〇〇錘、フライヤー精紡機四〇〇錘の他に新たにリング精紡機八〇〇錘を新設する予定だという(道新 昭28・9・15)。