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化学工業の展開

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 札幌の化学工業としては、まずゴム工業があげられる。豊平、白石地区はさながら「ゴムの街」で日本ゴム(株)札幌工場(白石7-2、白石村字上白石)、藤倉ゴム(株)札幌工場(白石村字上白石)、白熊ゴム製造所(白石村字上白石)、帝国ゴム(株)(豊平2-3)、豊久ゴム工業(有)(豊平2-3)などがあった。日本ゴム札幌工場(上白石)は、二十三年五月に出来た新工場で、工場、事務所、さらには野球場、テニスコートまであり、二万二〇〇〇坪の敷地を誇っている。製品はゴム長靴、炭鉱地下足袋、深靴、浅靴、学童布靴などで、二十二年度の生ゴム割当は一〇〇トン、従業員総数は三二九人である(北海産業新聞 昭23・8・11)。ゴム長は総ゴム靴ともよばれ、札幌の製品は道内需要はもちろん、内地へも移出されていた。
 次に製紙業をみてみよう。小樽の紙問屋から和紙製造に転じた北海製紙(株)は、戦時中に琴似に新聞巻取紙(洋紙)工場を設立、戦後はちり紙では九〇パーセント、温床用加工紙では一〇〇パーセントの道内需要を賄い、東北六県をも販路としている(道新 昭27・8・21)。しかし二十八年一月には札幌工場(琴似)の従業員二〇四人のうち男は二十五年一月以降、女は二十六年五月以降採用の者一一〇人(男九九人、女一一人)の人員整理案を出すなど厳しい経営を余儀なくされている(道新 昭28・1・31)。これは戦後に増設した長網式機械の工場を閉鎖することに伴う措置であった。その後、組合との交渉を経て、解雇人員は八五人となるが、特別手当増額をめぐって労使が対立した(道新 昭28・3・13)。
 最後に製薬工場についてふれておきたい。北海道製薬(株)(南4西14)は戦争末期にジフテリア血清の製品化に成功し、道内自給を果たし、そのほかカンフル注射、解熱剤、強壮剤、外傷薬、目薬などあらゆる種類の医薬品を製造している。鳥居薬品(株)札幌工場(琴似町字二四軒)は、ワクチン、咳止め、ビタミン剤、ブドウ糖を製造し、ワクチンは月産一二〇~一三〇万人分、ブドウ糖は月産一〇万本という量である(道新 昭20・12・16)。ただ、北海道の場合、戦前三〇~四〇社あった製薬メーカーが、戦時の軍需医薬の増産要求から急に一〇〇社を超えるほどに増え、戦後は廃業が相次ぎ二十六年二月にはフルに操業しているのは三〇社ほどといわれている。原料を本州に依存しているものはコストがかかること、いずれも弱小資本で本州メーカーの技術についていけないことなどが理由とされている(道新 昭26・2・23)。