ビューア該当ページ

復興金融金庫札幌支所開設

280 ~ 281 / 1021ページ
 壊滅状態にあった産業等の再建のために政府系金融機関が創設されていくが、これもまた戦後金融改革の柱のひとつであった。ここではまず復興金融金庫についてとりあげることにしよう。
 二十一年十月、復興金融金庫法が公布施行され、翌二十二年一月二十四日、政府全出資金四〇億円で復興金融金庫が開業した。そして翌二十五日に札幌支所が開設されている。
 この金庫の設立に先立ち、前年に復興金融制度は実施されており、二十一年八月に日本興業銀行に復興金融部が設けられ、復興特別融資がおこなわれていた。この特別融資は、復興金融金庫設立と同時に同金庫に引き継がれることになった。復興金融金庫の資金調達は全額政府出資が建て前であったが、実際上はそのほとんどが債券(復金債)でおこなわれた。しかも、その発行の多くが日銀引受でおこなわれたため、通貨の増発を招き、いわゆる「復金インフレ」と呼ばれる問題が発生した。ちなみに二十二年一月から二十四年三月までの日銀券増発額二一二五億七〇〇万円に対して、日銀の復金債保有高増加額は七〇三億四〇〇万円(約三三パーセント)であり、復金融資と通貨増発との密接な関係が窺われたのである(復金融資の回顧)。二十三年には復金融資に絡む昭和電工事件(昭電疑獄)が起こり、芦田内閣が総辞職した。いわゆるドッジラインの実施によって二十四年十月、復金の新規貸出は停止されたが、長期の産業金融の必要性は変わらず、二十六年四月に日本開発銀行が設立されるとともに二十七年一月、同金庫は日本開発銀行に吸収合併された。それと同時に復興金融金庫札幌支所日本開発銀行札幌事務所となった。