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金融制度整備と札幌預貸状況

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 朝鮮戦争を契機とした活況は設備投資などの資金需要を拡大させ、全国銀行においては実質預金よりも貸出金の方が多い事態、すなわちオーバーローンを常態化させた。日銀貸出も増大し、日銀は金融引き締め策を講じたが、経済の復興気運の中で旺盛な資金需要は続いたのである。そのことを背景に、この間、官民相俟って次のような金融制度の整備がはかられた。
 まず政府系金融機関としては、国民金融公庫(昭24・5)、住宅金融公庫(昭25・6)のほか、日本輸出銀行(昭26・2。28・4日本輸出入銀行)、日本開発銀行(昭26・5開業。復興金融金庫を継承)、農林漁業金融公庫(昭28・4)、中小企業金融公庫(昭28・9)等が相次いで設立開業されていった。
 民間では、二十七年六月「長期信用銀行法」の公布施行により、日本長期信用銀行が発足し(昭27・12)、同時に日本興業銀行が長期信用銀行に再転換した。また東京銀行が二十九年八月、外国為替専門銀行となった。
 二十六年六月の「相互銀行法」および「信用金庫法」の施行により、すべての無尽会社が二十九年までに相互銀行に転換し、後者によって戦前の市街地信用組合などから移行していた信用協同組合はそのほとんどが二十八年までに信用金庫に転換した。二十五年九月、労働金庫の前身である岡山県勤労者信用組合が設立され、二十八年「労働金庫法」が公布施行されると既存の三二勤労者信用組合はすべて労働金庫へと改組した。
 このような金融整備過程において、札幌市の預貸状況等はどうであったか。表でみることにしよう。表13において全国銀行、中小企業金融機関、政府系金融機関の一部、労働金庫等の預貸動向を知ることができるが、全国銀行に代表させてその動向をみれば、二十五年から三十年において、預金は一八一億九〇〇〇万円から四六六億一〇〇〇万円へ二・六倍、貸付金は一三七億円から四五三億一〇〇〇万円へ三・三倍、それぞれ増加しており、旺盛な資金需要を反映していることがわかる。このことを預貸率でみれば、二十五年の七五・三パーセントから次第に増大し、二十八年にはほぼ一〇〇パーセントに達し、実質的なオーバーローン状態にあることが示されている。また、この間の手形交換高を前掲表9でみれば、活発な経済活動を反映して枚数も金額もほぼ倍増しているが、不渡りが急増していることもこの間の特徴となっている。
表-13 札幌市内預貸状況              (単位:千万円)
全国銀行(年末)相互銀行
(年末)
信用金庫
(年度末)
商工組合中央
金庫(年度末)
北海道労働金庫
(年度末)
農林中央金庫
(年末)
預金貸付金預貸率
 (%)
預金貸付金預金貸付金預金貸付金預金貸付金預金貸付金
昭251,8191,37075.3744639291983
 262,1591,86386.38278695512138851231,010
 272,5802,53698.320815311895232801081701,179
 283,2713,26899.92622451731401525116121451,236
 293,7523,56294.93002631343571125019141541,762
 304,6614,53197.23483021971901216821283331,803
『札幌市統計書』,『札幌市の勢い 昭和29年版』,『札幌市勢年鑑 昭和30年版』,ただし北海道労働金庫北海道労働金庫『25年のあゆみ』より。
農林中央金庫は道内分。