昭和二十七年、『事務概況』に初めて園芸農業振興という項目が登場した。この頃、主要食糧の需給関係が緩和されてきたことに加えて、近い将来に予想される経営耕地面積の狭隘化という事態に対応すべく、土地生産性の高い園芸農業を導入することにより、本市の農業経営のあり方そのものの転換を図ろうという狙いがあった。札幌市は、「高度の園芸農業を発展せしめる端緒を開くもの」として、市営園芸農場を設置するプランを検討したが、いくつか問題点があったことから、さしあたり民間の園芸農業を支援するやり方をとることにした。
まず、比較的高い収益をあげることが可能な花き園芸を普及奨励すべく、岩見沢地方よりチューリップ球根を導入し、これを幌北地区と厚別地区の栽培農家に斡旋した。この年十月、有識者を招いて開催された園芸農業振興協議会の提言を受けて、花き園芸振興のためには、何よりも生産者団体の結成が必要であることから、栽培農家に呼びかけて、十一月、会員五十余人を擁する札幌市花き園芸協会を設立した(昭27事務)。翌二十八年以降、同協会に対して札幌市は種苗導入資金の貸付を継続したが、同協会はそれをもとにチューリップ球根やドイツすずらん苗などを購入して、それらを会員である農家に貸付し、優良な球根や苗の増殖を進めた。三十年、これら増殖された球根や苗が農産品評会で即売され、三十一年には、チューリップ球根一万球が初めて本州方面に出荷された(各年事務)。
果樹園芸については、「本市内およびその周辺の果樹地帯は、余市りんごと共に北海道のりんごの双壁をなす札幌りんごとして声価が高かったが、最近は生産者の生産販売に対する意欲の欠如が災いして品質が劣り、地場販売のみに向けられ、而も青森県などから大量に移入されている現状」(昭28事務)であるので、改めて振興を図るために、やはり全市の果樹生産者団体の結成が必要とされ、二十九年三月、札幌市果樹生産協会が設立された(昭29事務)。