昭和四十年、それまで戦後最大の不況の後、日本経済は再び高度成長となった。実質国民総生産の成長は四十一年度以降、毎年一〇パーセント以上であったうえに四十五年まで五七カ月に渡る長期となり、神武、岩戸を超えるという意味で「いざなぎ景気」と呼称された。戦後初の歳入補塡国債(いわゆる赤字国債)発行など積極財政に支えられ、内需拡大と輸出増進がこの景気の牽引役を果たしたが、この間、四十三年に国民総生産は資本主義世界第二位となっている。しかし四十六年八月、アメリカは国際収支悪化による金流出からドルを守るため、突如ドルと金との交換を停止した。いわゆるドルショック(当時の大統領名からニクソンショックとも言われる)である。同年十二月のスミソニアン協定でドル価値は低下し、円はそれまでの一ドル三六〇円から三〇八円となり、一六・九パーセント切り上げられた。円高不況が心配されたが輸出の好調が続き、四十七年の「日本列島改造論」など政府の積極政策もあって企業には過剰流動性(余裕資金)が蓄積した。