戦後、五件の鉱害が発生しているが、このうち三件が閉山前に起きたものであり、いずれも出水による被害であった。二十五年と二十八年には豪雨または融雪水による被害が生じたが、これは鉱山内部の問題にとどまったようである(操業記録)。しかし三十一年四月頃に発生したものは、次のように鉱害問題化した。これは、「シュリンケージ採掘跡が陥没し表土を充塡していたが再陥没し降雨融雪のため陥没孔より水が流入」し、さらに稲穂沈澱池周辺の田畑に坑内水が流出汚染したというもので、鉱山側は補償金一七万五〇〇〇円を支払っている(札幌鉱山保安監督局 戦後道内金山における災害発生状況調)。
事故については、一人の死亡事故が四十六年二月二十六日に発生している。「バッテリーロコで実車八両をけん引して通洞坑口から事務所まで徐行してきた時、鉱山道路を登ってきたトラック(四・五トン)の後部に衝突し、運転席とトラックとの間に挟まれて重傷を負い、入院加療していたが、三月七日死亡した」というものであった(前掲 戦後道内金山における災害発生状況調)。