ビューア該当ページ

終戦直後のガス事業

463 ~ 464 / 1021ページ
 北海道瓦斯株式会社(北ガス)を担い手とするガス事業も空襲による被害はほとんど無かったが、戦争末期の数年間は資材が極度に欠乏し、労働力もまた不足したために、製造・供給設備は何らの手も施されずに放置されていた。腐蝕その他の損傷が著しく、至る所に漏洩があって供給が円滑にいかず、そのまま供給を続けることはできない状態であった。さしあたり現有の機動力で漏洩防止と供給管の修理を実施したものの、埋管の腐蝕進行による漏洩が修理工事の能力を上回ったために、漏洩防止の実績は十分にあがらなかった。終戦直後の漏洩状況を示すと、昭和二十年の減損率(生産量に対する減損量の割合)は一五・〇パーセント、二十一年は二八・五パーセント、二十二年は一二・六パーセント、二十三年は一四・八パーセントであった。この応急復旧工事による整理と、戦時中に行われた強制疎開のために、二十年上期に対して二十一年上期は、需要家において九パーセントを失い、供給量は二八・八パーセントも減少した。
 これに追い打ちをかけたのが、終戦直後に石炭の産出量が激減したことによって生じた深刻な石炭危機であった。二十一年一月末には貯炭も底をつきそうになったために、ついに二月以降、大幅な供給制限を実施することを余儀なくされた。ガス供給の全面的停止という最悪の事態も想定されたが、翌二十二年に政府が打出した、いわゆる傾斜生産方式により石炭の増産体制が漸く軌道に乗ったことで、「二十四年、ガス使用制限規制廃止と共に当社の本格的な復興・発展の時期に入るのである」(北海道瓦斯55年史)。