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果樹栽培の動向

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 札幌市において、果樹といえばりんごを中心としてぶどう・なし・さくらんぼなどが栽培されていた。中でもりんご栽培の歴史は古く、戦前期には道内を代表する産地であり、輸出に向けられたこともあった。果樹は、農業基本法でいうところの選択的拡大作目としてその栽培が奨励され、札幌市においても、昭和三十六年三月に制定された、果樹農業振興特別措置法にもとづく果樹園造成資金を導入して、りんごを中心とした園地造りが三十七、八年に西豊平地区で進められた。
 その後はりんご価格の低迷と雇用労賃の高騰が経営を圧迫したこと、および三十年代前半以降、かつて主産地であった平岸地区の幹線道路沿いの園地から、急速に農地の宅地への転用が進行し、一部の山間傾斜地を除いては、かなりの先行投資となる新規の開園はほとんど行われなくなった。それでも補植や品種更新により、それまでの経営規模を維持する努力が続けられたが、四十年代後半になると、それすらも困難な状態に陥った(札幌市の農業各年)。
 果樹の作付面積は、昭和三十六年まで増加を続け、以後は減少に転じたが、四十七年の作付面積はピーク時の四分の一にもならない。
 他方で、果樹の粗生産額は四十二年まで増加を続け、以後は急速に減少するが、四十七年の粗生産額はピーク時の三分の一にも満たない。
 果樹の作付面積の推移を地区別にみると、四十一年には豊平二一〇・七ヘクタール、手稲二八・四ヘクタール、旧市内二二・八ヘクタール、琴似一四・三ヘクタール、白石八・九ヘクタールであったが、四十七年には南区五五・二ヘクタール、西区一〇・二ヘクタール、豊平区一〇・一ヘクタール、中央区二・六ヘクタール、白石区二・一ヘクタールであった。