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酪農・畜産の動向

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 この項では、馬産の動向を一瞥した上で、酪農、養豚、養鶏の動向を順次とり上げていくことにしたい。表79によれば、既に昭和二十五年をピークとして、札幌市における馬の飼養頭数は一貫して減少を続けていった。その裏には、動力耕うん機、トラクター、および農用トラックなどの急速な普及があったことはすでに述べたが、ここでは、かつて大型重種系馬ペルシュロンの生産で知られた篠路村における、馬産史の幕引きを確認しておく。すなわち、「昭和三十年代中期を迎えて馬匹需要の減退は決定的になってゆく。まず、それは都市輓馬需要の減退となって表われ、次いでそれが農耕馬需要にまで及んだ。要因は明らかで、道路水準の急激な向上と相乗的に働きながら訪れた自動車の普及、次いで自動耕うん機やトラクターの普及によるものであった。(中略)馬産はこうしてその根拠を失ってしまったのである。篠路農協が種馬事業を廃止したのは三十四年であった」(篠路農業協同組合三十年史)。
表-79 家畜飼養頭羽数の推移
年度その他
昭251,7785,9622,33039,622
 302,6135,5412,25733,436
 312,7505,1142,38732,3802,294
 323,0854,9003,04342,7822,057
 333,1244,5033,16443,4891,837
 343,5524,4153,41347,9461,687
 353,6604,1063,40951,5781,507
 364,0043,6184,28455,539822
 374,1713,0684,47149,821660
 384,2532,7524,38059,133473
 393,3351,7995,92562,138199
 403,1491,4235,44658,134163
 413,1981,0726,29862,59676
 423,5098127,26485,84760
 433,7156258,19088,50538
 443,89146113,257125,62421
 453,78930212,764175,93411
 463,50721413,242191,76116
 473,15013314,380169,37720
『札幌市統計書』各年,各市町村勢要覧による。
その他には綿羊,山羊,兎を含む。

 [酪農] 表79によれば、乳牛飼養家戸数と飼養頭数は三十八年をピークとして一度は減少に転じた。その後は飼養農家戸数の減少は続いたものの、飼養頭数の方は四十年代前半に再度増加に転じ、四十年代後半にゆるやかに減少していった。こうして、三十年に四・三頭であった一戸当たり飼養頭数は着実に増加し、四十五年には一四・四頭となった。
 他方で、三十五年に三億七八〇〇万円であった粗生産額も大むね順調に増加し、四十五年には史上最大の七億二八〇〇万円に達した。
 表出はしなかったが、四十五年のデータによれば、乳牛飼養農家は全市域に分散して存在し、特定地区への集中傾向を認めることは出来ないが、琴似・豊平・北札幌・篠路の各地区がやや集中度が高かったようだ。
 乳牛飼養農家を経営型態別にみると、酪農単一経営は全体の三〇パーセント、一〇〇戸程度とみられ、稲作あるいは畑作との複合経営が六〇パーセント、残り一〇パーセントは兼業化した堆厩肥生産型経営であり、さらにこれを地区別でみると、琴似・白石・旧市内では単一経営のウエイトが相対的に高く、北札幌・豊平は稲作複合経営が、篠路・厚別は畑作複合経営が多かった(札幌市の農業各年)。
 [養豚] 表79によれば、豚の飼養頭数は大むね順調に増加し、とりわけ昭和四十年代以降の増加が顕著であった。飼養戸数については不明の部分が多いが、四十二、三年頃のデータをみると、零細規模階層(一~三〇頭)および中規模階層(四一~一〇〇頭)が減少傾向を示しているのに対して、その中間にある三一~四〇頭階層および一〇一頭以上階層が増加傾向を示していた。一戸当たりの飼養頭数が着実に増加したことは間違ないとしても、その内実は複雑なものがあった。
 他方で、三十八年に一億八一〇〇万円であった粗生産額も大むね順調に増加し、四十七年には史上最大の一五〇億三八〇〇万円を記録した。
 養豚経営を区分する際には、飼養規模(階層)別に区分する仕方と、経営内容の違いを基準として、繁殖型経営(繁殖豚を飼育し、生産された子豚を販売する)、肥育型経営(子豚を購入し、肥育した成豚を販売する)、および混合型経営(繁殖と肥育を兼ねる)の三つのタイプに区分する仕方があるが、後者を地区別でみると以下のとおりであり、中でも豊平東部と西豊平地区は完全配合飼料、および畑の野菜・牧草を主とした主要な繁殖地帯となっていた。
繁殖地帯 豊平東部・西豊平・厚別・藻岩
肥育地帯 白石・菊水・琴似・手稲
混合地帯 篠路・平岸・鉄北・北札幌

 なお、昭和四十年代前半には、養豚の場が都心部より周辺地区に移動しつつあったこと、および塵芥を飼料とする養豚経営に由来する、畜産公害問題がクローズアップされていたことを付言しておく(札幌市の農業各年、および札幌の公害を参照)。
 [養鶏] 表79によれば、鶏の飼養羽数も大むね順調に増加し、とりわけ昭和四十年代以降の増加が顕著であった。飼養戸数は不明の部分が多いが、やはり四十二、三年頃のデータをみると、飼養農家の大半が依然として副業的経営の域を出ていなかったが、育雛施設をもたず、大雛を購入して採卵鶏のみを飼育するというタイプの、養鶏の大型化が著しく増加していたという(後述)。
 他方で、三十八年に一億七三〇〇万円であった粗生産額も、四十七年には史上最大の九億九四〇〇万円を記録した。その大部分は鶏卵であるが、他にブロイラーと廃鶏を含んでいた。
 採卵鶏飼養農家については一〇〇羽以下、一〇一~五〇〇羽、五〇一~一〇〇〇羽、一〇〇〇羽以上という規模別区分が行われているが、札幌市においては五〇羽以下の自家用養鶏が飼農農家戸数の六〇パーセントを占め、逆に九パーセントを占めるにすぎなかった五〇〇羽以上の経営が、飼養羽数の七四パーセントを占めていた。
 地区別でみると、全農家の三〇パーセントに当たる一一〇〇戸が養鶏部門をとり入れて全市域に拡がり、主産地の形成は果たされていなかったが、豊平東部・西豊平・厚別・白石・篠路の各地区がやや集中度が高かった(札幌市の農業各年)。