昭和二十年の凶作の秋を迎えて、石炭不足で間引き運転の国鉄は買い出し列車と化した。炭鉱労組と会社側が一体となった「強制買出し」集団が数百人単位で農村地帯に押しかけ、「鉄道もまた無蓋車などを提供」する中で農村では自警団が編成され、種籾貯蔵庫の警戒に武装警官隊が出動するなど、「食糧一揆の様相を呈」した(道新 昭20・11・14)。道庁警察部が十一月二十一日から本格的な取り締まりを開始する一方で、十一月二十三日、札幌市長以下一〇人が澱粉、小麦などの供出陳情「行脚」に出発するなど(道新 昭20・11・25)、組織的な買い出しと自治体による供出要請が交錯し、物価も高騰を続けていた。
この間の十一月中旬、戦時中に兵器などを製作していた藤屋鉄工所で、従業員代表七人が、賃金一七割値上げ、八時間労働制、有給休暇など九項目の待遇改善要求書を提出した。その中には、「配給物資の公平なる分配、戦時中の産報配給物資明細書提示、準主食物の会社買出し公定価格配給」などがある(道新 昭20・11・18)。会社側は二十日、給料七割増額や諸手当、共同購入補助金支給等を回答、合わせて社長の「天皇制のもとに民主化を実現し自由と協同精神に基き生産増強する」旨の表明に、従業員等も「階級的連帯性を確認し労資協調の顕現」の決議を行い解決し(道新 昭20・11・25)、それを機に藤屋鉄工所組合(昭22藤屋鉄工所労組)が誕生した。