石炭ストーブなどを製造していた朝日琺瑯(ホーロー)鉄器(株)で松橋精機労組が生産管理に入ったのは、二十一年六月十三日、政府が、「生産管理なるものは正当な争議行為とは認め難い」とする声明を発表した二時間後のことであった。社名と組合名が異なるのは、昭和十年創業以来の松橋精機の社名を労組結成直後に改称したためである(労働争議調整事件集録)。会社側が、資材入手難のためとして工場休止を決定し、全従業員への解雇通告と同時に即日工場を閉鎖したのに対して、苗穂工機部組合員などの支援を受けた組合は、社長以下会社幹部を事務所や工場から閉め出して生産活動を続行するなど激しい争議を展開し、組合の全面勝利となった(同前ほか)。
北光精機や、戦中期に企業整備で設立された北海道自動車販売の争議は、政府声明を機に全国的に生産管理戦術が急速に減退していく中で発生した。北光精機争議は、道地労委の斡旋により組合側の全面勝利で終結するまでの間、資材の入手や製品処分、賃金支払いなどすべてを組合委員長が決済するなど、社長を除く全従業員による五カ月に及ぶ全面経営管理に発展した(資料北海道労働運動史)。一方、北海道自動車販売争議では、会社分割に伴う組合の要求に最終交渉が決裂し経営管理に入ったが、翌二十二年二月、企業分割に合わせて道自動車販売従組は解散し、新たに札幌トヨタ販売労組(七一人)及び北海道日産労組(一三七人)とになった。企業別組合の特徴である。