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米軍撤退と全駐労札幌支部解体

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 札幌米駐留軍常用労働者は、昭和二十四年九月には真駒内三五五八人・札幌五六四人、計四一二二人を数えたが、朝鮮戦争終結以降の削減で、二十七年には事務系・技能工・宿舎要員合わせて約二七〇〇人に減少していた(渉外労務管理業務概要)。二十八年に入ると米軍撤退問題が浮上し、同年四月以降、全駐労のストライキや抗議デモの甲斐なく五三二人が解雇され(道新 昭28・12・9)、二十九年七月には米陸軍第一騎兵師団が千歳三三〇人、札幌米陸軍病院一七人・真駒内一八八人など五四七人の解雇を通告(道新 昭29・8・1)、さらに八月六日、千歳一五六人、真駒内八五人など計二五二人の解雇を通告した(道新 昭29・8・7)。
 二十八年十月の人員整理反対闘争や、調達庁との交渉ですでに条件闘争に転じていた全駐労は、退職金八割増支給を要求して四八時間ストを指令し、九月十三日、道内でも道地区札幌・千歳両支部計四二六〇人がストに入った。札幌支部では保安要員を除く二一六〇人が参加し、真駒内・八一六五米軍病院・苗穂補給部倉庫など六カ所に、白鉢巻きにタスキがけのピケ隊約二八〇人が出動し、未明からスクラムを組み出入り口を固めた。しかし、前年のような街頭デモ行進もなく、各施設では「米兵たちがのんびりスト風景を見物」する平穏さの中でほとんど労働歌も聞こえず、真駒内キャンプ内も「ヒッソリ閑」としていたという(道新 昭29・9・14)。特別退職手当問題が未解決のまま、全道で五一一四人のうち三一六九人、札幌では三八九人中一八一人、真駒内一九七九人中一二四七人が十月十四日までに追加解雇通告を受け(資料北海道労働運動史 同前)、札幌支部は三十年六月末で六六〇人(うち女子二〇人)に激減した。その後、昭和三十二年度で道地区本部も千歳市に移り、札幌支部も解体した。

写真-2 真駒内キャンプでピケを張るスト中の組合員(昭29)