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就業人口の増大と組合組織率

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 昭和二十五年に三六万人台だった道内の全組合員数は、四十二年には約五〇万人となった(表9)。しかし、全盛期一〇万人を占めた炭労が、四十一年に四万人を割り込み四十五年には二万人台に激減した。一方、多様な形態の雇用拡大が組織化を上回る速度で進み、ILO87号条約批准に伴う国内法改正で公務員の管理職脱退なども重なり、四十五年の推定組織率は約三二パーセントに低下した。春闘(賃闘)などにおいて国民生活に関する広範な政策要求を掲げながら、実態は企業別組合の春闘前段での運動盛り上げの役割を果たす域を出ず、さらに高度成長の過程で勤労者の生活水準や生活内容の高度化が進む中で全体としては中小企業の組織化が停滞し、脱組合傾向も拡大していたのである(新版 日本労働運動史)。
 昭和二十五年に三一万人だった札幌市の総人口は、四十五年には一〇〇万人を突破して三・二倍となり、就業者数も一一万人から四七万余となり、四・三倍(雇用者数四・五倍)へと加速的に上昇し、中でも建設業が七・四倍、金融保険業が六・六倍、商業及びサービス業が五倍以上に増加した(表11)。雇用労働者に占める女性の割合は、公務では一六・六パーセントから一三パーセントに後退したが、他業種での雇用を反映して二七・六パーセントから三二パーセント(就業者では三三・九パーセント)に漸増した(表12)。そしてこの間に、組合員数は昭和二十五年比で約三倍に増加し、全道に占める割合も二五パーセントまで上昇した。しかし、雇用労働者数に対する推定組織率は、二十五年の五一・九パーセントからほぼ一貫して低下し、金融保険業、運輸通信業、サービス業のうち教育・福祉・医療などの公的機関及び公務などの組織率の高さを反映しつつも、四十五年には三四パーセントとなった(表13)。さらに、地区労協・地区同盟加盟組合員数は、組織労働者の四〇から五〇パーセント台で推移し、実数では未加盟組合員数との差が拡大した(表10、表13)。民間中立系組合も増加したが、経済成長期に進出拡大した大手企業別組合の下部組織、中でも建設業や卸売小売業、金融保険業組合の未加盟率が高かったからである。
表-11 札幌市就業者の主な産業別増加指数
(昭和25-45年)
昭25昭30昭35昭40昭45
全人口100136196262322
就業者総数100145196327426
建設業100166278536743
製造業100122165252312
卸売業・小売業100149233398546
金融保険不動産業100187259524657
運輸・通信業100127151242316
サービス業100166223377525
公務100114120194221
『新札幌市史』第8巻1統計編より作成(原資料は各年10月1日現在の国勢調査報告書)。

表-12 昭和45年札幌市の産業別男女別雇用労働者数

種別

産業
雇用労働者総数男女別人員男女別比率
建設業52,13745,8416,29687.9%12.1%
製造業51,19335,67615,51769.730.3
卸売業・小売業101,71257,34944,36356.443.6
金融保険不動産業17,1959,1298,06653.146.9
運輸・通信業41,17936,2014,97888.012.0
サービス業77,03541,10935,93053.446.6
公務28,23124,5913,64087.112.9
その他6,9165,4591,45778.921.1
合計375,598255,351120,24768.032.0
『昭和45年国勢調査報告書』(10月1日現在)より作成。

表-13 札幌市の労働組合組織率の推移

種別

年次
就業者総数雇用者数
(A)
労働組合数組合員数
(B)
組織率
(B)/(A)
全道の組織率
 
昭25

111,364

84,494
 
313

43,831
%
51.9
%
45.9
 30160,941124,71642851,51641.335.2
 35218,474173,82852465,94137.933.9
 40361,553304,93665196,91331.831.2
 45474,653375,598893127,52134.032.1
就業者総数及び雇用者数は,国勢調査による10月1日現在数。労働組合数及び組合員数は,昭和25年~35年は『札幌市統計書』により,40年・45年は『北海道労働組合名鑑』各年からの算出数値で,いずれも6月30日現在数。組織率は,組合員数を雇用者数で除したもので,全道の組織率は『資料北海道労働運動史』掲載数値より算出。
昭和25年7月白石村,30年3月札幌村・篠路村・琴似町,36年5月豊平町,42年3月手稲町を合併。