札幌市国民健康保険(以下、国保)事業が開始されたのは、昭和三十四年四月一日の国民皆保険制度の実施(6月給付開始)による。
戦前は農山漁村の窮乏と医療費負担を軽減するため、「国保法」(昭13・7施行)が制定され、北海道内の一部町村が組合を設立し任意加入の国保を実施してきたが、戦後は医療品不足や激しいインフレ状況下で、実施は困難となっていた。二十三年に再開され、続く二十七年には国の財政援助強化などの措置が行われるにしたがって、札幌市の国保実施要望の声も聞こえ始め、二十八年五月、北海道公務員退職者連盟が札幌市議会へ請願運動を開始した。これを受けた市議会が実施に向けて調査(七一三世帯)した結果、八五パーセントが実施を希望していることが判明、市長に対し国保事業早急実施の意見書が送付された。同調査では、三〇パーセントは政府官掌健康保険や各共済組合保険に加入していたが、五八パーセントの人は医療費が自費払いのため病気に罹っても受診を控える場合もあり(広報 昭29・5・1)、疾病が貧困を招く最大の要因になることから急速に実施への取り組みが始動した。
翌三十年十一月に、「国民健康保険実施準備委員会」(市議会公益・療養担当者・被保険者・市職員)が設置され、実施計画案の調査審議を開始し、実施目標を三十二年四月に設定したが、現行制度を不合理とする市医師会から、制度是正を日本医師会を通じ「国会・政府へ要望中であり、即座の実施は困難」(道新 昭32・3・5)との回答があった。また財政面でも、市案の一般会計からの繰入金が市財政を圧迫するなどの理由もあって、実施は延期となり、事業開始は三十四年四月一日となった(札幌市における国民健康保険事業)。
こうして三十四年六月に給付率五割(自己負担五割)・助産給付・葬祭給付でスタートした市国保は、当初対象市民一四万三〇〇〇人(市民の三〇・四パーセント)の予想に反し実際は一三万四六〇〇人(同二七・二パーセント)の届け出となり、九〇〇〇人の見込み違いが生じた。しかし保険税(昭43以降、料制)の納入率が良く、被保険者が利用に不慣れのため給付率が低い結果となり初年度は二八〇〇万円の黒字となった(道新 昭35・6・21)。給付内容もその後往診、歯科ほてつ(昭35)、世帯主入院料の七割給付(昭37)、世帯主診療七割給付(昭38、世帯員は43年)などと改善され、三十九年には市独自の国保税低所得者二割減免措置の実施など改善策が進み、四十七年度から当初対象外とされた在日韓国・朝鮮人、中国人にも適用されることになった。この間の被保険者・国保世帯は増加し、加入世帯は最高が三十四年の三一・九パーセント、最低は四十年の二三・九パーセントとほぼ二五パーセント前後で推移し、人口からみた加入率も二〇~二七パーセントを占めている。財政は四十年度以降赤字に転じ、四十四年度までの累積赤字三億三六〇〇万円については被保険者の負担とせず、四十八年度から七カ年均等で一般会計繰入金をもって解消することとした(札幌市のこくほ 第12号、厚生事業の概要 昭48)。