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五條彰

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 札幌の演劇人が、戦争と終戦・敗戦をどう受け止め、戦後どのような地平から出発したのか。書きとめられた証言は多くない。戦前戦後をつうじて札幌の演劇の支柱となった五條彰の軌跡をたどることによって、地域の課題を一身に背負った、ひとりの表現者の事例を見る。
 五條は、戦前、劇団第一歩(札幌)で活動、新協劇団(東京)で久保栄作・演出『火山灰地』等に出演するなど、華やかな経歴をもつ俳優である。昭和十三年(一九三八)、久保栄に「君は札幌へ帰って演劇活動をやるべきだ」と言われ、志を持って帰札した五條は、日本移動演劇連盟北海道支部の一員として農漁村や炭鉱を巡演した。戦局の拡大とともに思想統制が厳しくなり、演劇活動の周辺には常に特高刑事の目が光って通常の公演活動が不可能となった。演劇人は、大政翼賛会の統制のもと、移動演劇に参加する以外、演劇にかかわる道がなかったのである。五條は推されて連盟の職員になるが職務と自らの志の齟齬(そご)に苦しみ、二十年一月の日記には、辞職を果たせず逡巡する心情を次のように記している(演劇ノォト)。
北海道演劇改革に捧げた生命を卑怯なる意思がゆえに業半ばにして、世人のそしりをうける身の恥しさに、四十歳の今日に至りて自らを涙するなり。