戦前は国家神道や宗教・思想統制のために、教派神道や新宗教は制限を受け、自由な活動が阻害されていた。戦後は宗教・信仰の自由が保証される一方で、社会的、体制的に価値観の大変換が起こり、社会の混乱と世相の荒廃に人びとは、既成の宗教では得られない救いを、新興の教団に求めるようになっていった。
創価学会、立正交成(佼成)会、パーフェクトリバティー、霊友会、生長の家などの新宗教が大衆の心をとらえ、教団としても大きく成長してきた。中小の新教団も澎湃(ほうはい)として創設され、神々のラッシュアワーといわれる状況を呈していた。
各教団も札幌を北海道での教勢拡大の中心、拠点として重視し、教化活動を続け教団施設を設置していった。事実、札幌での信徒、教会員の数も多くなっていた。これはまた、札幌の都市的性格とも関連を持っている。戦後、札幌は人口の増大を続けていたが、この「新市民」層は苦難の状況のもとで札幌へ転入していたこと、縁故や知己が少なく「貧・病・争」に関しても相談者に恵まれていなかったこと、異郷での「仲間」を欲していたことなどが、入信者を増加させる要因となっていたのである。