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竜神信仰

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 農業を生業とする人々にとって、生産に不可欠な天からの雨の恵みは、生活の全てであったから、旱魃(かんばつ)は生死に関わる重大な問題であった。この雨水をつかさどる神として重視されたのが竜神であり、海、滝、川、池などと蛇神信仰が結びついて地域独特の信仰を生み出してきた。
 下野津幌の旧金沢牧場では、昭和十四年から同二十年まで竜神がまつられていた。札幌に住む行者の託宣により農場内の池に白竜神が住んでいるとの啓示があった。この池は「いくら旱魃が続いても水涸れをみたことのない池」で、「遥か下の水田の灌漑水となっていた」。以来、ここに白竜神祠を建て、春秋の例祭には農場内の老若男女が集い家内安全、商売繁昌、五穀豊穣を祈った。戦後、農場の開放とともに竜神の祭りは途絶え、竜神が住むという池も宅地造成により埋めたてられた(下野津幌郷土史)。
 竜神碑の前で、かつては雨乞いを行ったという伝承を持つのが、真駒内川河川敷にある竜神塚である。明治十二年に真駒内牧牛場が真駒内用水路を開削した際に、真駒内川の蛇行点にあった蛇塚がその発祥とされる。その後、平岸、豊平、白石に水田が普及し、用水を利用する農家によって水利組合が組織された。この水利組合によって大正四年五月に建立されたのが竜神塚である。以来、春の水開きと秋の水落としに例祭を執り行ってきた。
 しかし、真駒内の宅地開発が進み、竜神塚の例祭も滞ってしまったが、昭和四十七年に駒岡の吉川沢美が自宅の紅鱒養魚地の一角に移設して毎年六月に竜神祭りを行った。平成二年八月には、真駒内の有志が発起人となり祠を新築し、竜神塚をお守りする会を発足させ、竜神祭り(九月)を復活させた(みなみ区ふるさと小百科)。