ビューア該当ページ

区制をめぐる議論

29 ~ 30 / 1053ページ
 札幌市は昭和四十六年九月六日の市議会第四回臨時会に「札幌市区の設置に関する条例案」を提出した。その主な内容は、①一区あたりの人口を八万から二〇万程度とし、七区に分ける、②区の名称を中央区、幌北区、北栄区、白石区、豊平区、藻南区、琴似区とする、③豊平区役所は当面現在の月寒庁舎を使用し、将来平岸に新築する、④篠路、厚別、清田、定山渓、手稲の五カ所の出張所を設ける、といったものであった。
 議案は市民から二三件の請願・陳情とともに総務委員会に付託され、同委員会は、区の名称変更(幌北区を北区に、北栄区を東区に、藻南区を南区に、琴似区を西区に)、豊平区役所の位置の再検討、出張所の増設などを市長に要請した。市長はこれを受けて原案を撤回し、十月四日市議会第三回定例会に条例案を再提出した。これは全会一致で可決された。
 豊平区役所の位置は、四十二年十一月の市の「区制施行及び庁舎新築に関する基本構想」では月寒運動広場(旧月寒競輪場跡)とされていたが、市は四十五年十二月の「指定都市に関する調査特別委員会」への説明で、五区制案を七区制案に変更し、その中で豊平区役所の位置を「検討事項」とした。これをきっかけに区役所誘致合戦が始まり、月寒運動広場の他に、豊平六条八丁目、豊平五条一三丁目、美園五条一丁目などの設置要望が住民から市に提出された。四十六年九月の前記条例案は豊平区役所の位置を平岸四七七番地の一としていた。市は四十七年三月市議会第一回定例会に平岸での豊平区役所庁舎設計料を含む予算案を提出、十五日可決され、豊平区役所の位置問題は決着を見た(以上、十三期小史)。