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景気過熱期

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 昭和四十七、四十八年の新聞記事を一覧すると、景気過熱を報じるものがひじょうに多い。たとえば「大幅な増収増益へ 道内企業の三月期決算 好景気映し軒並み」(道新 昭48・3・27)、「設備投資意欲おう盛 本年度の道内中小企業 建設の伸び目立つ」(道新 昭48・4・1)、「建設資材は過熱現象 道内景況、いぜん拡大基調」(道新 昭48・4・25)などである。これは、四十六年のドル・ショックへの対応策として市中に供給された大量のマネーサプライ(過剰流動性とみなされる)と四十七年、田中角栄内閣「列島改造論」との影響により、物価は上昇しつつ旺盛な投資、生産活動が行われていたからである。札幌では、オリンピック前後の建設ブームが続いており、建築着工面積は、四十七年の三一六万平方メートルから四十八年には七四〇万平方メートルという後にもない最高記録を樹立した(統計書)。しかし、四十八年下半期から悪性インフレを恐れた政府の総需要抑制策の影響が出はじめ、十月には石油ショックに直面することになる。マネーサプライの増という国内要因に加えて原油価格引き上げという「外圧」が、国内の売り惜しみ、買いだめをよび、翌四十九年は「狂乱物価」状況となったのである。