図4によると平成二年下半期に急降下したB・S・Iは、三年下半期にはマイナス四六・一を記録し、以後五年下半期まで五期連続のマイナスを続けた。そして、六年上半期と八年上半期には一時的にプラスに転じ、平成不況の出口がみえたかとも思われたが、九年十一月の拓銀破綻により、B・S・Iは期間中最低であるマイナス七六・九を記録する。その後、上昇の傾向もみられるものの、平成不況からの脱出は果たしていない。
図3によると平成不況期の一〇年間には手形交換高が毎年減少を続け、製造品出荷額、市内総資本形成、建築着工面積などの指標をみても平成不況が他のどの時期よりも不況色がもっとも濃厚であることがわかる。
さらに、注目したいのは、銀行預金と銀行貸出金のバランスである。個別銀行をみるときに預金・貸出金の比(預貸率)が重要なメルクマールとなる。札幌市内の銀行本支店の状況を集計したものが図3に示した銀行預金、銀行貸出金であるが、札幌市内銀行全体の預貸率(貸出金÷預金)を算出すると、昭和五十八年以降毎年一〇〇を超え、特に平成五年から九年の間は一二〇パーセントを超えている。グラフ上も貸出金の線が預金の線を大きく上回って推移していることが確認できる。個別銀行の預貸率であれば八〇パーセント前後が通常の姿なので、一二〇パーセントというのはきわめて異常なオーバーローンである。そして、十年には貸出金が約七兆六五五五億円から六兆五八一九億円に激減することにより、預貸率は一気に九四・三パーセントに低下し、以後低下し続ける。これは拓銀破綻の影響と、その後の「貸し渋り」を反映しているものと思われる。