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化学工業

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 この分野の企業として、ほくさんを取り上げる。ほくさんは、昭和四年九月設立の北海酸素が前身で、酸素製造に始まり、戦後は溶解アセチレン、LPガス、FRP(強化プラスティック)製ユニットバスなどに製品を広げ、四十一年八月には社名を(株)ほくさんとした(大同ほくさん 有価証券報告書 第1期、平5)。札幌市内では月寒東に工場を置いていた。製品販売高の推移をみると、四十七年には一四二億円、六十年には五〇八億円、平成三年にはバブル期ピークの八九四億円を記録している(有価証券報告書 各期)。酸素製造の副産物を利用する形で生産品目が広がっていったところは化学工業の特質を示すものである。酸素は主として鉄鋼業の製鋼用およびガス溶接、火炎熱処理用であった。アルゴン、溶解アセチレンも切断、溶接用に用いられ、鉄鋼、機械金属工業が顧客であった。しかし、鉄鋼業界は鉄冷えに苦しみ、豊平製鋼では地元産酸素が割高だとして本州産を入れたように(豊平製鋼社史編纂委員会 豊平製鋼半世紀の歩み 平5)、鉄鋼、金属業界にのみ依存した経営にとどまっていたのでは、上述の販売高の伸びは実現しなかったであろう。ほくさんの歴史は事業の多角化に特徴がある。
 表17にほくさんの販売高の事業分野別内訳をかかげた。ほくさんの事業を昭和五十五年時点について大別すると(一)産業用ガス(酸素、窒素、アルゴン、溶解アセチレンなど。表17では産業関連部門に該当)、(二)燃料ガス(表17では燃料関連部門に該当)、(三)ユニット・バス(表17では住宅関連部門に該当)に分けることができる。その後平成四年までの期間をみると、産業関連部門の比率は横這いで推移し、燃料関連部門の比率は大きく低下する。これに対して住宅関連部門は増大し、医療産業部門、食品関連部門が台頭してくる。住宅関連部門では、バスオールの名で知られるユニットバスが主力であり、医療部門は医療用酸素、ガスに加えて輸入医療機器販売、食品関連は液化窒素を用いた冷凍食品が「さぶーる」の名で売り出された。
表-17 ほくさんの販売高(単位:百万円、%)
部門昭5560平2459
販売高    (百万円)
<内訳>
39,70150,81387,33787,313143,658146,826
産業関連部門24.919.027.624.539.740.0
医療産業関連部門4.78.18.210.47.710.7
燃料関連部門52.150.531.030.216.718.7
食品関連部門3.16.16.54.2
住宅関連部門18.316.425.527.316.714.2
環境機材関連部門6.77.9
エンジニアリング関連部門7.13.7
その他15.82.91.41.51.1
ほくさん『有価証券報告書』各期、大同ほくさん『有価証券報告書』各期
1 産業関連部門は原資料の高圧ガス部門も含む。
2 平成5年の燃料関連部門の数値には食品関連部門も含む。
3 平成5年から大同ほくさんの数値。

 資本的な面では、昭和五十四年に道内本社企業としては六番目の東証一部上場を果たし(道新 昭54・8・24)、平成四年九月に大同酸素(本社、大阪)との対等合併(五年四月一日付け)が発表された。合併後の売上高では産業ガス分野では東京酸素に次ぐ業界二位となり、また大同酸素は産業ガス部門、西日本に、ほくさんは燃料、医療、住宅部門、東日本に優位性があることから相互補完的な合併であった(道新 平4・9・2)。表17の五年の数値をみると、販売高は一・六倍化し、産業ガスを含む産業関連部門が増大して燃料、医療、住宅が軒並み比率を下げたのは、大同酸素の事業構成の影響を受けたことと、事業部門分類が変更されたことによる。大同ほくさんは、さらに十一年十二月に共同酸素(本社、大阪)との合併(十二年四月一日付け)を発表し、社名もエア・ウォーターと改められることになった(道新 平11・12・10)。