昭和六十年八月三十一日、肉卸売業のカネイチが厚別に土・日のみ開店して生鮮食料品を扱う「カウボーイ厚別店」を開店し、スーパー業界へ参入した。カネイチはすでに五十四年に同様の土・日のみ営業する店を伏古で営業していたが、五〇〇平方メートルという大規模小売店法の適用をぎりぎり受けない四八六平方メートルの店舗を四棟建てるという、法の盲点をついたかのような出店計画が波紋を呼んだ(道新 昭60・7・4)。また翌年五月二十五日には、卸売業者が合同で常設問屋デパートのキャナックを札幌総合卸センター内に開店した(道新 昭61・2・19)。キャナックは卸売業者の集約化と利便性を追求するだけでなく、会員を小規模小売店に限定し数量に関係なくあらゆる商品を現金で販売するという手法で大手業者と対抗した(道新 昭63・4・1)。カネイチとキャナックの試みは、前者がその後も順調に出店数をのばしディスカウントストア化したのに対し、後者が店舗の賃貸料をめぐる訴訟と経営不振で平成七年閉店するという対照的な結果に終わったが、卸売業の生き残りをかけた取り組みはバブル崩壊以降、より顕著となった。
二年には、医療品卸しの真鍋薬品(旭川)、大槻中央薬品(北見)、寿原薬粧(札幌)、丸一斉藤(札幌)、多田薬品(室蘭)、高木薬品(函館)、帯広真鍋薬品(帯広)の七社が合併して、バレオが誕生した。また六月一日にはダイカが青森のネタツ興商と合併し福島県を除く東北五県に拠点を確立した。北海道内の日用雑貨卸売業は昭和四十年代に合併が相次ぎ、ダイカ、粧連、大丸藤井、北海道花王販売による寡占化が進んでいたが、ダイカの東北進出は、花王のようなメーカーの問屋業務進出や大手スーパーなどのメーカーとの直接取引に対して「広域化」で対抗しようという意図があり(道新 平2・3・17)、平成十年四月には、タナカ(埼玉県八潮市)、富士商会(秋田)と合併することで関東進出をも果たした。これに対し粧連は海外進出をめざし、五年にはウラジオストクへ、翌年には日商岩井とタイアップして中国に家電輸出を行い、八年にはロシア極東で卸業務を開始した。
一方菓子卸しの業界も昭和五十七年に道内七七問屋だったのが、オグラ、ナシオの主導で平成二年までに四〇問屋にまで整理されたが(道新 平2・10・27)。その後も七月にはオグラがマルワ信和商事と業務提携し、十月には大阪の橘高が小樽、室蘭、函館の菓子問屋を吸収して、オグラ、ナシオ、本州系のサンエスを交えて競争が激化した。そのため四年には、オグラが業界五位の水谷商事を傘下に加える一方、函館のカネマルが大阪の山星屋と共同出資会社「アリスタ北海」を設立して札幌に進出した。医薬品業界でも四年ホシ伊藤が本州の大手医薬品卸しの東邦薬品、福岡の九宏薬品と共同仕入れ体制を整備し、道内の医薬品卸しは秋山愛生舘、モロオ、バレオ、ホシ伊藤が全体の九五パーセントを占める寡占状態(道新 平8・11・2)が続くかに思われた矢先、同年秋山愛生舘がスズケン(名古屋)と提携し、新たな展開をみせはじめた。
八年医療品業界第二位のクラヤ薬品が札幌に進出した。同年スズケン岩手の株式を取得して東北地方で業務拡大を目指していた秋山愛生舘は、今後予想される薬価基準引き下げや医療保険制度改革による医療費抑制をふまえ、翌九年スズケンとの合併に踏み切った。スズケンは武田薬品工業との取り引きがなく、全メーカーと取り引きがある秋山愛生舘を事実上の吸収合併することで、全メーカーの商品を取り扱う全国初の「フルライン型」企業に脱皮することを目指したのである(道新 平9・7・25)。スズケンは翌十年には七年に東京の志水を傘下において首都圏市場最大の販売網を築いていた医療機器のムトウと業務提携をし、病院内の物流管理事業への参入をめざした。これに対してバレオはやはり九年神戸の三星堂、仙台のサンエス、九州の大手四社が合併した受け皿会社アステム(福岡)、翌年には広島のエバルスを加えて業務提携に踏み切ったが、道内市場に密着することで全国規模で展開する広域化に対応すべく、十一年四月ホシ伊藤との対等合併に踏み切った。また武田薬品系列のバレオと田辺製薬系列のホシ伊藤の合併で、取扱メーカーの幅を広げ、スズケンに対抗するねらいがあった(道新 平10・8・22)。新会社の名前は「ほくやく」と決定し合併効果が期待されたが、ホシ伊藤と提携関係にあった東邦薬品が同立薬品工業を十二年一月吸収合併して道内進出を果たし(道新 平11・10・9)、さらなる競争激化が予想される。
一方、本州大手の道内進出は、食品や酒類卸し業にも及んだ。食品卸しでは国分、菱食、明治屋がすでに進出していたが、七年には加藤産業(西宮)、雪印アクセスが相次いで札幌支店を開設し、大手コメ卸しのミツハシ(横浜)も札幌へ進出を果たした。翌八年には食品卸しの松下鈴木(大阪)が道内に進出しスハラ食品と新会社を設立している。酒類業界では昭和六十年に道内の一〇社が結集して北海道流通卸連合(北流)が設立されたが、ビールの安売り常態化、メーカーが販売価格を決める建値制度が崩れ大手スーパーの仕入れ値引き下げなどにより体力の弱った地方の卸しを道内の大手酒類卸し業者が系列化する一方、大手は吸収合併や資本参加を通じて取扱量と営業区域を拡大し生き残りを図ろうとした。平成六年には古谷が苫小牧の田畑商事を吸収合併し、北酒連は七年宮城県の三陸酒類販売を子会社化し食品部門を軸に多角化に乗り出したが、十年仙台支社を菱食に営業譲渡し、本州から撤退した。さらに同年酒類ディスカウントのデリーズが破綻したことから古谷の経営が行き詰まり、十二年三井物産系列の三友食品に経営譲渡された。また食品では杉野商事が北海道雪印販売に合併された。コメ業界はホクレンを除き、戦後地域ごとにすみわけがなされていたが、ミツハシの参入とともに八年北海道中央食糧と室蘭米穀、小樽米穀が合併、また釧路食糧が札幌にコメ卸しの新会社を設立するなど競争が激化している。そんななか菓子業界では、十年オグラが、十二年ナシオがそれぞれ東北進出を果たし、さらなる広域化を目指している。