一方ラジオでは、良質な音を楽しむかつての一部のマニアや若年者層を核にして、FMリスナーが大きな広がりをみせていた。NHKFMに飽きたらないリスナーからは民放FM局の開局を望む声が高まったが(道新 昭52・9・10)、民放FM局は四十五年七月までに東京・大阪・名古屋・福岡の四地区でしか開局されておらず、文化享受の面で北海道・東北等には格差があるのが現状であった(道新 昭53・4・8)。
五十六年九月本道初の民間FM局としてエフエム北海道が設立、翌五十七年九月十五日本放送を開始した。同社の開局は音楽を録音・編集するFMファンを刺激したとみえ、同局の試験放送が始まった八月頃からFMチューナー(FM放送同調装置)の売り上げが急増したといわれる(道新 昭57・10・19夕)。その後、平成五年八月一日には道内二番目のFM局としてエフエムノースウェーブが本放送を開始している。
また四年からは函館を皮切りに、出力の小さいFM波を使って、ほぼ市町村単位の限られたエリアで放送するコミュニティーFMが相次いで開設される。札幌でも八年七月二十日札幌コミュニティーFM局(愛称・ラジオカロスサッポロ)が開局したのをはじめ、九年四月エフエムとよひら(愛称・FMアップル)、十年四月一日三角山放送局が開局している。これらコミュニティーFMは、放送局とリスナーが共同して番組作りを行う親近感が人気を集めたが、経営の面では売り上げ全体の八割程が広告収入であったことから、各局ともスポンサーの獲得に苦心した(タイムス 平8・6・6)。