写真-4 議場前の組合員と警官隊(昭55.3.27)
しかし、本格的に賃上げ闘争に入った五十七年春闘(82春闘)は、四月八日の金属労協大手の集中回答を機に同盟系の電力各社の「一発回答」などについで、交通ストの主力だった大手私鉄などが急速に終息に向かい、別行動をとっていた全電通のほか、「赤字、値上げにポカ休、ブラ勤」などの「世論批判」を前に国労・動労など公労協や都市交通、公務員共闘なども事実上ストライキを中止し(道新 57・4・14、15)、全国的には春闘史上初の「ストなし春闘」となった(札幌地区労資料)。道内では、道私鉄が大手との格差是正要求で延べ四日間のストを実施したが、大手組合の先行妥結が大多数の中小労組を孤立させる「戦線分断」状況を生み、札幌地区(石狩管内)の地場中小企業の妥結額も大手との格差が広がる結果となった(同前)。五十八年の春季賃上げ要求も大手による集中一発回答で終息し、さらに公労協や公務員共闘も、世論の動向や知事選挙など統一地方選挙への配慮からストを回避した結果、賃上げは「物価上昇分のみという不満足な結果」(菅井道労働総同盟会長談)となる。道内中小・中堅企業(従業員規模一〇〇〇人未満)五六七社の平均妥結額は、六八四一円(賃上げ率四・二一パーセント)と三十一年春闘以降最低を記録し、五十九年の賃上げ率は四・一二パーセントに低下した。六十年春闘では、総評傘下の主要組合が「年金改悪反対」などを掲げて統一ストを実施し、また中央の労働四団体と全民労協(五十七年結成、後述)が、一兆五〇〇〇億円減税、総労働時間二〇〇〇時間以内、「太陽と緑の週」法制化による時間短縮などを重要制度政策要求に掲げ、道内でも全道労協や各地区労、道同盟、全民労協道ブロック連絡会などが、自治体等への政策要求や労働時間短縮に関する要請行動を展開した。これらのうち、前日及び翌日が国民の祝日である日(五月四日)を休日とする旨の「国民の祝日に関する法律の一部改正案」が十二月に成立したが(官報 昭60・12・27)、二桁賃上げ率は過去のものとなった。