ビューア該当ページ

春闘見直し論とストなし春闘

510 ~ 512 / 1053ページ
 昭和五十四年(一九七九)以降、経済闘争について中央では「春闘見直し」論が台頭し、公労協の主力組合全電通が独自路線に転換した。民間組合の現実化傾向が強まる一方、労働時間短縮・年休完全消化・物価安定・減税、その他の多様な政策制度要求重視の色彩が濃くなり、また、民間労組先行による労働戦線統一への動きも活発化した。「国民春闘」の一環として五十三年から毎年「中小企業労働者デー」を設定していた札幌地区労も、物価問題や公共料金、社会保障・福祉、環境など市民生活に関する諸問題について札幌市との交渉に力を入れ、春闘前段で経営者団体や労働基準局などとの交渉をさらに強化した(札幌地区労資料)。五十五年三月、道内各自治体で公共料金値上げ問題が浮上拡大し、札幌でも、上下水道など二六項目の使用料・手数料値上げをふくむ新年度予算案が市議会に上程された。本会議採決予定日の二十七日、札幌地区労傘下の組合員は「値上げ案撤回」を求めて市役所前で集会後、二〇〇〇人が一階ロビーで座り込み集会を開き、八八〇人が議場を封鎖した(道新 昭55・3・28夕)。同日、春闘全道統一行動デーとして道内各地でも公共料金値上げ反対集会が行われたが、札幌では、市長と市議会議長の要請により出動した道警機動隊員など一五〇人が議場前に座り込む組合員を次々と強制排除し、騒然とした雰囲気の中で値上げ案が可決された(札幌の労働運動)。五十六年には、郵便料金や「年中行事化」した国鉄運賃、二年連続の電気料金、大学受験料、札幌市営交通料金など公共料金「値上げ攻勢」に加え石油製品などの値上げが「追い打ち」をかけ(道新 昭56・10・31)、札幌では五十七年三月にも、国民健康保険料や保育料値上げ問題で二〇〇〇人がプラカードを掲げて市庁舎内に座り込んだ(同 昭57・3・26)。一時沈静化した物価上昇率は、五十五年に再び八パーセントを超え(表9)、昭和五十年を一〇〇とした札幌市の消費者物価指数は、公共料金の値上げも重なり五十七年には一四九と約一・五倍となった(統計書)。

写真-4 議場前の組合員と警官隊(昭55.3.27)

 しかし、本格的に賃上げ闘争に入った五十七年春闘(82春闘)は、四月八日の金属労協大手の集中回答を機に同盟系の電力各社の「一発回答」などについで、交通ストの主力だった大手私鉄などが急速に終息に向かい、別行動をとっていた全電通のほか、「赤字、値上げにポカ休、ブラ勤」などの「世論批判」を前に国労・動労など公労協や都市交通、公務員共闘なども事実上ストライキを中止し(道新 57・4・14、15)、全国的には春闘史上初の「ストなし春闘」となった(札幌地区労資料)。道内では、道私鉄が大手との格差是正要求で延べ四日間のストを実施したが、大手組合の先行妥結が大多数の中小労組を孤立させる「戦線分断」状況を生み、札幌地区(石狩管内)の地場中小企業の妥結額も大手との格差が広がる結果となった(同前)。五十八年の春季賃上げ要求も大手による集中一発回答で終息し、さらに公労協や公務員共闘も、世論の動向や知事選挙など統一地方選挙への配慮からストを回避した結果、賃上げは「物価上昇分のみという不満足な結果」(菅井道労働総同盟会長談)となる。道内中小・中堅企業(従業員規模一〇〇〇人未満)五六七社の平均妥結額は、六八四一円(賃上げ率四・二一パーセント)と三十一年春闘以降最低を記録し、五十九年の賃上げ率は四・一二パーセントに低下した。六十年春闘では、総評傘下の主要組合が「年金改悪反対」などを掲げて統一ストを実施し、また中央の労働四団体と全民労協(五十七年結成、後述)が、一兆五〇〇〇億円減税、総労働時間二〇〇〇時間以内、「太陽と緑の週」法制化による時間短縮などを重要制度政策要求に掲げ、道内でも全道労協や各地区労、道同盟、全民労協道ブロック連絡会などが、自治体等への政策要求や労働時間短縮に関する要請行動を展開した。これらのうち、前日及び翌日が国民の祝日である日(五月四日)を休日とする旨の「国民の祝日に関する法律の一部改正案」が十二月に成立したが(官報 昭60・12・27)、二桁賃上げ率は過去のものとなった。