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「世界女性会議」への参加

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 昭和五十年(一九七五)の国際婦人年メキシコ会議では、並行して民間会議(トリビューン)が開かれ三〇〇〇人が参加した。札幌から参加したのは深尾勝子(北海道新聞記者)と戸部アナマリア(在札日系メキシコ人、元記者)の二人だった。
 一〇年後の「国連婦人の十年」ナイロビ会議では、民間会議(フォーラム)に二万人近くが参加して二〇〇以上のワークショップを開いた。北海道と札幌市もそれぞれ八人を送った。札幌市の派遣団は高田悦子(市母子寡婦福祉連合会長)ら地域活動にあった女性達と、市の女性政策担当職員であった。
 一行はまず、五十五年に「国連婦人の十年中間年世界会議」が開かれたコペンハーゲンで、「女性政策先進国」デンマークの女性関係施設や、パリでフランスの社会福祉施設等を見学した。その後ナイロビを訪れてフォーラムの開会式と各種ワークショップに参加し、札幌の女性市民の活動紹介や親善交流を試みた(「国連婦人の十年」ナイロビNGOフォーラム派遣報告書)。
 札幌市婦人団体連絡協議会上田叔子会長ら四人も、京都市中心の指定都市婦人団体研修団に参加した(札幌婦連協 第三四二号 昭60・9・20)。また布施晶子(札幌学院大学教授)は、婦人労働問題研究会の一員として「日本における婦人労働者の実情」を複数の会合で報告した(女性労働 20世紀から21世紀へ)。
 北京で開催された第四回世界女性会議のNGOフォーラムにおけるワークショップは三三三八、都道府県・指定都市から派遣された市民の数は一三三四人に達した(ナイロビから北京へ)。
 札幌市は女性センター館長を含む一二人を派遣した。団長の木村淳子(北海道武蔵女子短大教授)ら五倍の応募者から選ばれた市民一〇人は、フォーラムのワークショップに団員手作りの英語人形劇を上演した。テーマは「家事・育児・高齢者介護―これらはすべて女性の役割だろうか?」で、観客の反応は活発だった。その後姉妹都市瀋陽にも赴き、市の人民政府と婦女連合会を表敬訪問し、国営工場とその保育施設、婦女児童宮等を見学した(札幌市「第4回世界女性会議NGOフォーラム」派遣団報告書)。
 自主参加では、「女のスペース・おん」がアイヌ女性を含む二六人でワークショップをもった(暴力のない世界をめざして)。また北海道平和婦人会新日本婦人の会北海道本部からも一人ずつ、婦団連(日本婦人団体連合会)の参加団に加わって核禁止署名活動を展開した(第4回世界女性会議・NGOフォーラム参加報告集)。北海道女性協会は北海道の支援をえて一三人の派遣団を送った(世界をつなぐ女性たち)。
 なお「女のスペース・おん」は、ニューヨークで国連「女性二〇〇〇年会議」に並行して開かれた「北京+5フェミニストシンポジア」にも参加者を送った(暴力のない世界をめざして)。

写真-5 第4回世界女性会議NGOフォーラム開会式(平7 北京)