パートタイマーは、通年雇用では人件費がかさむという企業と、物価上昇に対する家計補助を望む主婦の要望が合致した急激な労働形態の変化である。四十三年三月発足した北海道パートタイマー友の会会員は、一年間で四五〇人になったが、職安と密接な連携を持つので、札幌市・江別市大麻・小樽市などの主婦パートタイマーのほぼ実数とされた(44・10・17)。
その後景気変動をこえてパートタイマーは増加の一途を辿る。広告や口コミによる就職が多く実数の把握は困難だが、通勤距離が近くて継続勤務が多い主婦パートの比率は、東急ストア三〇パーセント、ヴィクトリアステーション四〇パーセント、市民生協五〇パーセントといわれた(56・2・5)。
OA化のすすむ銀行内で案内や機械の説明にあたる「ロビーコンパニオン」は、北海道銀行が五十四年、北海道拓殖銀行は五十六年から採用を始めた。週四日、一日五時間で、夫の扶養家族となる年収七九万円以下になるよう年に一カ月休職する仕組みは、主婦パートの典型的なタイプであった(57・1・16)。
札幌市内百貨店金市館内の北海道パート相談室で受け付けた五十五年度の求職者は約一万人、求人は八〇〇〇件、就職者は五〇〇〇人で、道立札幌内職相談センターは五十七年度から婦人就業援助センターに転換された(57・1・6)。
道労働審議会は五十九年に「北海道における女子パートタイマー対策に関する意見具申について」を提出した。四十六年から五十七年に全道の女性パートタイム労働者は四万六〇〇〇人から一五万四〇〇〇人に、女子雇用労働者に占める割合は九・五パーセントから二一・九パーセントに増加していた(資料北海道労働運動史)。拓銀総合研究所が道内企業六〇〇社(資本金一〇〇〇万円以上)に実施したパート労働調査によると、全体の半数(小売業の九割)が女性パートを雇用し、就業規則、賃金、昇給制度などいずれも全国より著しく低水準であった(59・6・23)。
札幌地区労は五十七年三月、初めて事務所に「パート一一〇番」を特設し、『パートタイマー読本』頒布を始めた。一週間に相談電話は違法賃金三一件を筆頭に二一三件も寄せられ(57・4・6)、パートの組織化に本腰を入れることにした。五月には全労働省労組北海道支部が市民生協労組パート部会書記長や道労基局次長など招き、「女子パートタイマー問題シンポジウム」を開いた(57・6・2)。
六十年九月、札幌パートユニオンが発足した。まず「パート一一〇番」を開設し、初の「パートタイム労働旬間」の十一月、労基署や札幌職安に電話相談をまとめた要望書を提出・懇談した(60・12・8)。その後毎年二五〇件余りの電話相談解決にあたるユニオンは、札幌と近郊パート労働者の〝駆け込み寺〟として定着し、労組再編の中で平成元年四月、全道パートユニオン連絡会が結成された(一九八八年度活動の経過と反省)。ユニオンの初代会長は、夫が転勤の多い公務員のため缶詰工場、遺跡発掘、事務、新聞配達など八年間にさまざまなパートを経験していた(タイムス 60・9・19)。全林野主婦会に属し、北海道主婦会連絡協議会会長も務めた(北を育てる主婦協35年のあしあと)。組織が要求を続けたパートタイム労働法(短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律)の成立は平成五年(一九九三)六月、施行は同年十二月である。