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札幌市在住「ウタリ実態調査」の意図

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 四十九年一月には札幌在住のウタリの人々による生活館建設要求の声が高まり、建設に向けて運動が開始された。この運動の結果が、五十三年に落成する札幌市生活館である。市内には、昭和三十年代後半の高度経済成長期以降、北海道においても全道各地の炭鉱・農漁村から都市部へ人々が就学・就職の機会を求めて集中し始めた。このことは、アイヌ民族が生活基盤としていた農漁村においても例外でなく、過疎化の進行に一層拍車がかかり、ウタリの人々が故郷を離れ、札幌をはじめとする都市部へ生活手段を求めて移動せざるを得なくなった。道ウタリ協会では、これまでウタリ対策といえば農漁村に残っている小集落だけに向けられ、札幌市には住んでいないものとされ調査対象からはずされていた。そこで農漁村を離れて札幌市へ移り住んだ、いわば都市型ウタリの生活・労働環境の実態調査を行い、状況を把握する必要性に迫られた。そのため、五十年七月から半年間、道ウタリ協会札幌支部では実態調査を行うことになり、調査員二人が戸別訪問して、面接のうえ聞き取り調査を行った。調査そのものが目的ではなく、故郷を離れたウタリたちが抱えている生活上の切実な問題を一日も早く解決することが真の目的であった。
 調査結果は、『札幌市在住ウタリ実態調査報告書』(北海道ウタリ協会 昭51)としてまとめられ、この内訳については市史5上七三七~七三八頁に記述したので参照されたい。初の実態調査にあたった調査員は、札幌市内白石区四七戸、西区二四戸、北区二〇戸、東区二〇戸、豊平区二〇戸、中央区一二戸、南区六戸の外、石狩町(現石狩市)五戸の計一五四戸の家庭訪問調査を行った(ウタリ協会札幌支部20年の歩み 平5)。当時調査にあたった一人は、「まずウタリであることを公けにすることなく暮らしている人びとに対する家庭訪問はとても辛いものがあった」と述懐する。調査の意図は都市型ウタリ対策着手への足がかりであった。具体的に、五十二年五月ウタリ住宅新築資金等貸付制度が開始された。