「アイヌ新法」制定運動が進行している最中の六十一年九月二十二日、中曽根首相が講演で、米国の平均的「知的水準」が低いと発言、二十六日、首相陳謝のメッセージを伝達した。さらに十月十七日、衆議院本会議で陳謝・釈明にからみ、日本は「単一民族国家」と発言したことから、アイヌ民族らが一斉に抗議する事件がおきた。さらに十月二十一日、衆議院本会議で首相が、「日本には差別を受けている少数民族はいない」と答弁したことから、事態はますますアイヌ民族の反発を招いた。道ウタリ協会も「アイヌ民族の存在を無視し、抹殺するもの」と強く反発、抗議行動へと発展した。日高管内出身で当時札幌市在住の二男一女を持つ四六歳のアイヌ民族女性は、周囲の差別や偏見と闘いながら子供を育ててきた心情を切々とつづった手紙を二十二日、首相宛に送って抗議していたことが二十四日の新聞で明らかとなった(道新 昭61・10・24)。「単一民族国家」発言は、札幌をはじめ全道や関東に居住するアイヌ民族の反発を招き、首相は十月三十一日、衆議院本会議で同発言に対して改めて釈明を行った(道新 昭61・11・1)。
このような首相発言は、「アイヌ新法」の議論を高め活発化を招いた。道ウタリ協会理事長らは、厚生省に「新法」制定を求め抗議したり、各政党にも要望した(道新 昭61・11・20、21夕)。札幌でも、十一月二十二日開催の合同教育研究全道集会の「人権・民族と教育」分科会に出席したアイヌ民族や教師から民族差別の実態や反発意見が相次いだ(道新 昭61・11・23)。道ウタリ協会では、十一月三十日、札幌市内で第一回の「アイヌ民族の新法制定を考える夕べ」を開催、旭川市、釧路市でも順次開催された(先駆者の集い 62・3・17特集号)。道ウタリ協会では、国連人権センターに対し政府の「第一回人権報告書」について調査・審議を要請した(道新 昭61・11・27)。政府が、「アイヌ民族」を公式に認めたのは、翌年十二月国連人権センター提出の「第二回人権報告書」からである(道新 昭62・12・25)。
六十二年八月開催の北海道知事の私的諮問機関「ウタリ問題懇話会」で、少数民族調査が決定されたり、九月十七日には、道ウタリ協会主催で「アイヌ新法制定を考える全道集会」が札幌市内で開催され、約三〇〇人のアイヌ民族と和人がアイヌ民族の未来や新法制定について話し合った(道新 昭62・9・18)。札幌支部でも、十月二十八日、市民とともにアイヌ新法制定促進をめざす集会の開催(道新 昭62・10・26夕)等、新法制定へ向けて市民運動へと発展しつつあった。