高度経済成長期の大量生産や流通と販売、そして大量消費の暮らしのなかで、消費者はかつて経験したことのない豊かなモノが溢れる一方で、食品添加物の安全性やカラーテレビの二重価格、計量と量目不足や物価問題に取り組んできた。しかし、消費者保護基本法が施行された昭和四十三年(一九六八)から一〇年近くが経過してもなお、消費者の「安全である」「知らされる」「選択できる」「意思が反映される」四つの権利は、容易に行使されていないのが現状であった。
札幌市は消費者を保護し、消費生活の安定とその向上を図るため、拠点となる札幌市消費者センター(中央区大通西一四丁目)を五十二年十一月に開設した。主な事業は①相談事業、②商品テスト及び実験実習の実施、③消費生活資料の展示、④消費者の啓発および各種講習会や講演会の開催、であった。相談窓口は本庁にも開設し、各区役所と丸井今井デパートのくらしのセンターには札幌消費者協会員が配置されて、市民の苦情や相談を受け付けた。苦情相談内容は六十一年からは市消費者センターと国民センターを直結したオンラインシステムにより、情報を全国規模で把握し、解決に向けて的確、迅速に処理されることになった。
相談件数をみると開設時の五十二年の五三〇〇件が、五十七年に六三〇〇件、最多は六十二年の九七〇〇件、平成四年八九〇〇件、九年に八三〇〇件、十一年に八九〇〇件と次第に増える傾向となり、そのうち苦情が七割、問い合わせが三割であった。相談内容のうち五十年代は家電の苦情や訪問販売が多く、なかには外国製洗剤を大量に買わされたマルチ商法やネズミ講が社会問題化した。その対策に五十一年、訪問販売等の法律が施行されて購入後四日間は解約できるクーリングオフ制が実施されたが、五十五年にはさらに訪問販売が激増したため、市消費者センターなどが国に日数の延長を申し入れたところ、五十九年以降はクーリングオフ期間が七日間に改正された。しかし、クーリングオフが適用されない「霊感商法」の高価なつぼや朝鮮人参などの悪質商法が横行し、高齢者に被害が広がった。バブル経済期に入ると、六十年の最悪の事件となった豊田商事の金の現物まがい取引問題では、弁護士による被害者救済組織が開設され、訴訟件数では全国四二〇〇人中、北海道内は三七九人と多数を占めた。六十一年は電電公社のNTT民営化にともなった電話機の販売など、消費社会の変容によって相談内容も変貌した(札幌消費者協会 二十年のあゆみ)。
急激に増加したのは若者をターゲットにしたサラ金、クレジットの多重債務に関する相談で、バブル崩壊年の平成三年(一九九一)は前年の七割も増加して六八六件、補習用教材や新聞の契約に関して七四三件、エステティックの契約三一五件と、これらは十一年まで増加し続けた。十一年は、景気の低迷を象徴してサラ金・クレジット契約相談が一四三〇件にも達し、エステ会社、証券会社、着物販売店などの相次ぐ倒産・閉鎖による相談が増加した。十一年のこれらの契約相談では三〇歳代と二〇歳代の家事従事者とサラリーマンが大半を占めている(札幌市消費者行政事業概要 各年度)。これらの相談のうちクリーニング類や食品添加物、食品の成分調査、羽毛布団の品質問題などは、市消費者センターテスト室が対応し解決が促進されている。
一方の消費者自身も、一般講座により生産・流通過程や市場の中央卸市場などを見学して、基本的な商品知識を身につける学習を積んできた。また、物価調査は、昭和三十八年十一月に開設した消費者モニターを五十四年には物価担当と消費生活担当とに分離して配置し、市民の苦情や要望、意見や情報を把握し、消費者対策に反映させるとともに消費者意識の向上を図り、地域における消費生活のリーダー的役割を担うことを目的としている(昭62年統合し、物価・消費者モニターとなる)。