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産業廃棄物の処理とリサイクル

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 昭和四十七年(一九七二)工場や加工業者から出る産業廃棄物は、事業者の責任で処理することにした(広報 昭47・4、9)。
 昭和四十九年七月北海道は、廃掃法に基づき産業廃棄物の具体的な処理計画について道公害対策審議会に諮問した。十一月審議会は、企業責任を明確とし、市町村の役割は処理に必要な施設の整備・埋立地の確保に配慮すること、道の役割は基礎資料の収集・指導・監視・広域処理計画の策定などとした産業廃棄物処理計画を答申した(道新 昭49・7・30、11・29)。
 札幌市では、五十年七月産業廃棄物指導係(翌年指導課)を新設し、実態の把握、排出事業者などへの指導を強化した(清掃概要 昭50、昭51、道新 昭50・12・13)。五十二年度には監視専用パトロールカーを配置して排出事業所の検査や指導の体制を整えた(清掃概要 昭51、道新 昭51・1・26)。五十二年事業所からの大口ごみが有料となったため、不法投棄の情報提供者に図書券などを贈ることにした(道新 昭52・9・27、10・2、54・4・21)。
 一方、廃棄物の減量化のため、さまざまな試みがなされた。札幌のし尿くみ取り業者らが、自動車のエンジンオイル、工場の機械油等を処理してA重油に再生する廃油センターを発寒鉄工団地のはずれに設立した(道新 昭47・10・4夕、49・10・20)。市内の発泡スチロール業者は、使用済み発泡スチロール容器などをスチロール樹脂に再生するプラントを開発した(道新 昭52・3・23)。厚別清掃工場では、五十一年からごみの焼却灰を高熱処理してグラスウールとほとんどかわらない断熱材の製造に取り組んだ。これは埋立場へ運ばれる焼却灰の減量化の取り組みであった(道新 昭52・10・27夕、清掃概要 昭53、54など)。財団法人札幌市環境事業公社が再利用できるごみの仲介をする事業系廃棄物交換制度をスタートさせた(道新 平3・10・30)。札幌市では、残土再生処理プラントを計画して道路改良工事の際に出る残土を路盤材として有効活用することにした(道新 平2・11・20、3・8・10)。道路廃材再生の会社として札幌道路維持公社を札幌市が全額出資して設立した(道新 平4・2・26夕)。
 さらに産業廃棄物の原料と域内処理を目指して、処理・再生施設を集めて資源化を図るリサイクル工業団地を東区中沼に建設した。そして建設廃材、木くず、廃プラスチック、廃油、汚泥、金属の処理・再生プラントと資源化のための試験・研究施設、再処理処分場、廃水処理施設などを建設した。七年には一部民間処理施設が事業を開始し、十二年度には全施設が完成した(道新 平4・1・3、8・17、8・18、11・22、5・1・22、清掃概要 平3~12)。
 平成十三年札幌市では、国の循環型社会形成を目指すさまざまな法の制定、それをうけた道の廃棄物処理の計画などに基づいて「札幌市産業廃棄物処理指導計画」を策定した。その計画に基づいて、発生抑制・リサイクルの推進、適正処理の徹底、特別管理産業廃棄物の処理体制の充実などの施策を実施している(清掃概要 平15、札幌市環境局 札幌市産業廃棄物処理指導計画(平成13~17年度)平14・1)。