昭和五十年(一九七五)に札幌市内で働く若者は約一六万五〇〇〇人と推定された。札幌市青少年問題研究所(所長・板垣弥之助)が、初の「札幌市の勤労青少年の生活実態調査」を行ったところ、回答者一六五四人のうち、札幌出身者は全体の三五・九パーセント、札幌市以外の道内出身者が六〇・九パーセント、残りが道外であることが分かった。道内出身者の支庁別順位では空知が二五・一パーセントで最も多く、後志(一三・八パーセント)、上川(一〇・四パーセント)、石狩(八パーセント)、網走(五・四パーセント)、胆振(四・六パーセント)、留萌(四・四パーセント)、渡島(四・二パーセント)、宗谷(四・二パーセント)、十勝(四・〇パーセント)、日高(三・二パーセント)釧路(二・一パーセント)、桧山(一・八パーセント)、根室(〇・九パーセント)であった(道新 昭50・11・21)。
札幌市は四十八年、道内出身者が正月をふるさとで過ごせるようにと、十二月三十日に無料の「ふるさとバス」を運行した。一五歳から二五歳までの青少年が①釧路までの道東コース、②稚内までの道北コース、③函館までの道南コースに分かれ、市役所前を出発してふるさとへ向かった。四十八年は合計一五九人、その後五十二年まで一五〇人前後の若者が利用したが、五十三年には定員に応募者が満たないために最後の運行となった。その原因は、五十年の調査結果によると二二歳以上の男子の四割近くがマイカーを持ち、週一回はドライブを楽しむ生活をしていたように、予想以上の車社会になっていたことによる。「ふるさとへはマイカーで」が実態であった。同生活実態調査でも、主要耐久消費財の所有状況では最多はテレビで全体の六割が所有し、ステレオ五割、冷蔵庫三割強、洗濯機は二割強という「物持ち」であった。仕事よりも余暇を優先する考え方が増え、「仕事が生きがいで余暇は二の次」が一、二割、「仕事は仕事、余暇は余暇で楽しむ」若者が八割で、一時期の「モーレツ社員」型は減少していた。この頃から、何に対しても情熱が持てない、目標はないと答える若者に対して、団塊世代が「シラケ世代」と呼び始めた。
さらに七年後の五十七年の同研究所調査(平均年齢二一歳・二〇〇〇人)では、マイカーが男子五割強、女子が一割強に増えて、テレビも七割、ステレオ六割、ベッド六割、カメラは四割も持っていた。給料は平均二一歳で税込み男子が一二万円、女子が一〇万九〇〇〇円で、安い給料にもかかわらず高価な耐久消費財を持つ「豊かな生活」実態が明らかになった。また、不況については約半数が不安に思い、「正直者がばかをみる世の中」と感じている者は四割強、「信用できるのは自分だけ」と思う者は二割、「戦争の不安がある」と答えたのは三割強にのぼった。困ったときの相談相手は「学校時代の友達」が三割で多く、親兄弟一・五割、勤め先の同僚は一割弱で就職後の交友関係の広がりが少ないことも分かった。食生活では朝食をほとんど食べない者が三割強にものぼり朝食離れが進んでいた。