ここでもう一人の教師に登場してもらう。市内中学校で長い間教鞭をとったT教師である。T教師は、昭和三十六年四月から札幌市内の中学校の教師となり、五十四年から道教委指導主事を経験し、再び市内の学校に戻り、F中学校教諭となった。平成四年から市内中学校の教頭・校長を歴任し、十年三月に退職する。
F中学校は中央区にある昭和三十六年開校の学校である。「学力の高い学校として有名」であったが、T教師が赴任した時期は校内暴力や器物破損・授業放棄などの「校内非行」で学校が大きく揺れていた時期であった。例えば「強い指導や注意をする先生の車をねらいうちにして壊す」という事件が起こった。このような事例を学校側はなるべく「隠そう」としたが、校門や校舎の壁のスプレー書きや窓ガラス破損は「隠せな」かった。対教師への嫌がらせや授業ボイコットもあった。「技術室からスパナが持ち出されて、注意をしたら攻撃された」という。行動を注意した事務官への復讐で、事務室の「鍵穴に瞬間接着剤をつけられたり、ドアの取手に大便をつけられたり」された。教室で「椅子や机が積まれ、その上で生徒たちが踊っている場面にも出くわした」こともあった。T教師は「この当時が一番つらかった」と言う。自分自身が「途方に暮れて、どうしていいかわからない」状況に陥ったのである。教員も「集団の統一がとれず」「管理職の『その場をとにかく取り繕う』という考え」もあって、ほとんどなすすべのない状況になってしまっていた。
全国的にみると五十八年は、非行の「第三のピーク」の年であった。札幌市においても街頭での注意件数が二万七九四二人と過去最高となった。また補導件数も七〇一四件で前年度につぐ数字であった(札幌市青少年補導センターあゆみ 昭和60年度版)。市立中学校の非行は二二一件で、前年度の一・五倍となった。特に女子は前年度より五二件増え、全体の四五パーセントを占めた(朝日 昭59・6・23)。校内暴力は全国的には五十七年度がピークであったが、道内では五十八年度になっても増加し(タイムス 昭59・7・17)、市内中学校では前年度六九件から八八件に増加した(タイムス 昭59・6・23)。例えば、新設校であった西区のH中学校では四月二十七日にこうもり傘を投げつけ、ガラスを割るなどの事件で生徒六人が補導され、その後鑑別所に送致された(道新 昭58・4・30)。八月三十日には、南区のM中学校の生徒が、授業が始まっても教室に入らなかったことを注意され、放課後にそれに腹をたてて教師を殴り、全治一週間のけがを負わせて警察に逮捕された。五十九年三月十五日に行われた市内七〇校の中学校卒業式においては、各警察四署に周辺パトロールを要請した学校が二二校に及んだ(タイムス 昭59・3・16)。