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登校拒否(不登校)

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 校内非行いじめはある程度の増減がありつつ推移してきたが、平成十三年度まで増加の一途をたどってきたことに登校拒否(不登校)がある。登校拒否は昭和五十年代初頭から、問題化してきた。五十一年度に開設された札幌市教育研究所(市教研)では、開設当初から教育相談を行ってきた。相談件数は、五十三年度六七人、五十四年度六三人だったものが、五十六年度には一二六人に急増し、五十七年度も一四四人となった。道教研や市教研の当時の研究によると、「親の過保護と放任で依存心と利己主義の強くなった子が、集団や先生の理解不足に突き当たって登校拒否に陥るケースが多い」といわれていた(道新 昭58・4・15)。
 五十四年九月の市教研の調査によれば、登校拒否児は、小学校で一二四人(生徒数に占める割合〇・一一パーセント)、中学校で一四四人(同〇・三一パーセント)であった。中学校では学年が進むごとに割合が高くなり、中学校三年では〇・五パーセントになっていた(札幌市における登校拒否児の研究 第二年次)。平成三年度には出現率は、小学校で〇・一三パーセント、中学校で〇・九一パーセントと上昇し(さっぽろっ子―札幌子ども白書―)、四年度以降、登校拒否を含む長期欠席者の集計は五〇日以上欠席の者から三〇日以上欠席の者へという調査方法の変更が行われたが、三〇日以上欠席者は、八年度には小学校で〇・二四パーセント、中学校で一・四八パーセントとなった。市教委では「小学生は学校生活などに対する心理的不安、中学生では無気力などを理由に不登校になるケースが目だつ」と説明している(道新 平9・10・1)。平成九年度以降は、小学校で〇・二五~〇・三〇パーセント、中学校で二・五パーセント程度となっている(市教委調べ)。
 登校拒否が増大するなかで、登校拒否に対する見方が変わってきた。平成二年十二月六日発表の文部省の調査研究協力者会議の中間報告では、「特定の子どもにみられる現象」としていた従来の見方を大きく転換し、「どの子にも起こり得る」という新しい見方を提示した。「学業・友人など学校生活上の問題が原因となる場合が多い」こと、「学校・家庭などの努力でかなりの部分が解決する」こと、「登校を強制することで拒否状態が悪化する」可能性もあること、などの基本的視点を明らかにしている。
 市ではいくつかの方策を行った。一つは不登校状態に陥った小・中学生の復学を目的に月寒中学校のセミナーハウスに「相談指導学級」を開設したことである(道新 平3・3・12)。この事業は平成三年四月から開始された。六年九月一日には、新琴似小学校内に北陽中学校分教室が開設され、十年十月二十二日からは伏見小学校にも置かれた(道新 平10・10・7)。二つは、不登校で民間の施設に通う子どもたちを、学校への出席扱いにするというものである。四年九月二十二日、文部省は、校長の判断によって施設に通っても指導要録上、出席扱いを可能とすることを決め、二十四日に全国の都道府県教育委員会に通知した。これをうけて市教委は、五年七月に不登校の小・中学生の指導と出欠の取り扱いに関する文書を市立の全小中学校に配布した。フリースクールなど民間施設に通う子どもたちの出席日数を認めているのが特徴であった。市ではこれまで市教研、児童相談所など公的機関に通う子どもは出席扱いにしていたが、今回はその枠を広げ、「営利本位でなく、不登校生徒の指導にふさわしい経験のある職員がいる」など一定の条件を満たした民間施設に通う児童・生徒の出席日数も認めることとした(道新 平5・7・24)。当時、市内の民間施設にはフリースクールさとぽろなどがあった。また児童福祉総合センターは、九年七月二十二日から、不登校児童・生徒の家庭に学生のボランティアを派遣し、心の交流を図る「メンタルフレンド(心の友)派遣事業」を始めた。市から依頼を受けた大学生が週一回、二時間をめどにボランティアで不登校児童・生徒の家庭を訪れるものであった(道新 平成9・7・20)。
 なお、文部省は十年、「心の教室相談員」配置を都道府県への委託事業として行うこととした。道議会では、九月二十五日に、同制度をめぐって道教委と北教組が事前に相談員の人選・配置について協議していたことを自民党が問題視し、十月一日からの導入予定が遅れた(道新 平10・10・6)。札幌市でも十月十九日からの導入を予定していたが、当日に導入できたのは対象となった八六中学校のうち一七校のみであった(道新 平10・10・20)。