札幌市内の小・中学校配置の第三の特徴は「小さい学校」の存在である。北海道は、「交通条件及び自然的、経済的、文化的諸条件に恵まれない山間地、離島その他の地域」(へき地教育振興法)が多くあり、これらに所在する小規模の学校である「へき地学校」が多数存在している。へき地学校の多くは「単級学級」や「複式学級」である。
道教委の調査によれば、昭和二十四年四月三十日現在で、道内の小・中学校のうち「単級・複式学級」の学校はそれぞれ一三四二校、八一二校であり、全体の六六・七パーセント、七一・五パーセントの割合を占めていた(北海道教育史 戦後編五)。当時の札幌市域では二十八年十二月において、複式学級をもつ五学級以下の小学校は五校あり、また複式学級をもつ二学級以下の中学校は、信濃中学校東米里分校(一学級)であった(札幌市教育要覧 昭29年度版)。
現在の札幌市域で確認できる最初の年度は三十一年度である。同年段階では、当時の札幌市域の複式学級をもつ五学級以下の小学校は、白川(1学級)・東米里(2)・小野幌(3)・上野幌(2)・大谷地(3)・盤渓(2)・新川(1)・茨戸(3)・福移(2)・中沼(2)・鴻城(3)であった。当時の豊平町には豊滝(2)・常盤(3)・西岡(2)・滝野(1、昭44年に常盤小と合併)・有明(1)・藤の沢(2)・駒岡(1)・豊羽(5)・三里塚(1)が、また当時の手稲町に手稲北(4)があり、総計二一校を数えた。複式学級をもつ二学級以下の中学校は八校であった(山崎長吉 札幌市教育史 下巻)。これらの学校のうち西岡小学校は、二十三年十月十五日に道庁教育部によって「道庁及び師範学校特別研究指定学校」に選定された。研究期間は三年間であり、「単複教育の一般問題の他関係支庁より提出された問題について研究すること」が研究目標であった。また白川小学校では、二十五年三月六日に「単級複式教育実験学校研究大会」が開催された。二十六年度には道教委の指定研究校に選定された。研究主題は「単級学校の教育計画と学習指導法の実験研究」であった(前出 北海道教育史)。