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高校「準義務化」の時代

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 昭和四十七年度の市の高校進学率は九二・八パーセントであった。全道平均が八〇・七パーセント、全国平均が八七・二パーセントであったから、市の高率がわかるであろう。五十年度には市の高校進学率は九五・二パーセントとなった。中学校卒業のほとんどの生徒が高等学校に進学するという「準義務化」がなされたといってよいであろう。
 進学率の増加に加えて、自然増・社会増による中学校生徒数が増大していたので、高校増設が課題となった。四十七年段階で市内には、市立高校が旭丘・開成・啓北商業・星園・琴似・石山と六校があり、道立高校一一校などを含めて、総計三六校があった。しかしこれだけでは収容しきれず、続々と高校が新設されるようになる。四十八年度の市立の藻岩高等学校、四十九年度の道立の手稲高等学校などである。さらに五十年度には市立の清田高等学校と道立高校が、五十二年度には道立二校が新設された。さらに五十五年度に市立の札幌平岸高等学校なども新設された。