四十一年の丙午の年を過ぎて以降、道内の中学卒業生は急増した。第二次ベビーブーム世代が高校に進学する時期にきたからである。過疎過密化の現象も顕著であった。市は全道でも最も過密化現象が進んだ地域であり、高校不足が深刻となった。五十七年度以降、第二次ベビーブーム世代がピークに達した平成元年までに、市内では道立高校が八校新設された。しかしこれでも生徒増には追いつかなかった。そのため道教委の道高校長期収容対策検討協議会が検討を行い、五十九年十二月二十八日に報告書を発表した。その骨子は、①六十三年以降、急激に生徒数が減少するため、原則的には高校新設を抑制する、②一学級あたりの定員を四七人に臨時的に増やす、③既設校の一学年の学級数を最大一二学級まで広げる、などというものであった(道新 昭59・12・28夕)。
これは一時的とはいえ教育条件を悪化させるものであった。例えば六十二年段階で四七人学級は全道で一二三あり、そのうち札幌圏が一一二を占めた。また公立高だけでは生徒を収容できず、私立高に依存した結果、私立高のなかには基準を超える五一、二人学級まで現われた(道新 昭62・10・24)。また同時期には高校中退問題が浮上していた。五十八年度の全国の高校中退者は一一万一五〇〇人あまりで、全生徒の二・四パーセントを占めた。本道は六二四七人で二・八パーセントであった。公立高全日制で一・八パーセント、公立高定時制で一二・八パーセント、そして私立四・四パーセントであり、公・私立とも全国平均を大きく上回り、高知・東京などについで五位の高率であった。中退の理由では「進路変更」が全国で二三・六パーセントであるのに対し道は三〇・九パーセント、また「家庭の事情」も全国で一〇・八パーセントであるのに道は一五・〇パーセントと高率であった(道新 昭60・4・3および8)。道の高校中退率の高さは、その後も続いた。高校中退率のピークは平成二年度であり、全道で六七一七人、その内訳は公立が四三六二人(二・二パーセント)、私立が二三五五人(四・四パーセント)であった(道新 平4・12・12)。